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小説〜辿り着いたは精神病院? シーン5 "スケアリモンスタ"

小説〜辿り着いたは精神病院?

資産家のお嬢様で良家の奥様。仕事良い夫、多くを持てる彼女は死の願望に取り憑かれていた。前を向き強く生きていた瞳はもう暗闇しか映さない。警告:小説と現実の区別がつかない人は絶対読まないで下さい。

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シーン5 "スケアリモンスタ"

   文芸3131
 

*警告*このブログには自殺、流血、薬物、飲酒、精神病治療のシーンが含まれます自己の責任で対処できる方、小説と現実の区別がつく方のみ閲覧して下さい。







シーン5-1 "スケアリモンスタ"

「お帰りなさい」お義母さんの第一声だった。

私は四ヶ月お世話になったタヤマ病院を退院した足で、祐輔の実家を訪れた。二〜三日でも良いから泊まって体を休ませろと、義父母に強く言われたのだ。
断ろうと思った。けれどいつになく強い調子で説得する祐輔に負けた。一人で私をマンションに置いておくなら仕事を休むと言われ、有給を使い果たしている祐輔の職場での立場を考えると、これ以上首を横に振り続けることはできなかった。

「たっだいまぁ!」祐輔は大声を上げながら玄関に飛びこんだ。
本当に嬉しそうな表情をしている。大きなボストンバッグを肩に掛け、馬鹿でかいキティちゃんを抱える姿は、なんだかとても子供っぽい。
「. . . お邪魔します」ただいまとは言えず、私は頭を深く下げた。
「さあ、留璃子さん疲れたでしょう?とりあえずお部屋で横になったらどうかしら?」お義母さんは小さな花の刺繍を施された白いエプロンで、軽く手を拭きながら言った。苺の良い香りがほんのりとした。
「瑠璃、二階行こ!」祐輔は促す。

和風建築の立派な玄関口で、私はどうしたらいいか戸惑っていた。あれだけ不義理をしておいて、今更面倒掛けるなんて. . . . . . 。

「あ、あの、お義父さんは?」挨拶しなければと、祐輔の父の姿を探す。
私の意図に気づいた義母は、祐輔に良く似た笑みを浮かべた。
「ああ、タロの散歩。三十分で戻って来るって言ってたのに、またご近所の人に捕まって長話してるのよ、きっと」挨拶なんて気にせず休んでちょうだいと、お義母さんはそっと私を促した。
「祐輔、本当にあなたの部屋で良いの?客間も直ぐ使える様にしてあるのよ」
「いいって、母さん!僕の部屋の方が瑠璃もきっと落ち着くよ」祐輔は言うと、私の手を掴み階段に向かった。


祐輔の実家はタヤマ市の西部に位置するのどかな田舎町だ。最近コンビにやDVDレンタル店が進出してきたけれど、見渡す限りの平地は刈り入れが終わった田んぼと葡萄や梨畑が続く牧歌的な風景だった。私達のマンションがある名古屋の住宅街とは正反対の環境にあった。

椙山家は百坪を超える敷地に建てられた純和風建築で、手入れされた生け垣がぐると取り囲んでいた。広い玄関に長い廊下、二間続きの仏間に縁側と、小さい頃訪れたママの実家、おじいちゃんの家を思い出させる懐かしい造りだった。キッチンとバスルームは最近リフォームされ、外見よりはずっと近代的だ。一階にはリビングダイニングと、義父母の部屋、洋間の応接室、広い納戸。"離れ"と呼ばれるお華の稽古場からなっている。二階は祐輔と弟の部屋に、普段は使われていない客間があった。各部屋がゆったりとした余裕のある間取りをしていた。現在、弟の公嗣君は北陸の大学に在学中で、二階はまったく使われていなかった。

部屋は、記憶と少しも変わっていなかった。大きなパソデスクの上が空になっているのと、壁棚にずらりと並んだガンプラが無くなっているくらいだ。. . . それらは覚王山の私達のマンションで主を待っている。

そして部屋には先客が居た。
「あ、この子. . . ?」
祐輔のベッドに一回り小さいキティちゃんがちょこんと座っていた。マンションで留守番しているはずの、祐輔からプレゼントされた方だ。
「へへへ、気づいた?」祐輔は自慢げに笑う。手にした一回り大きなキティを隣に座らせると、私を振り返りにへらと笑った。
「瑠璃も隣に座って」
「. . . ?」疲れていたので、言われるまま祐輔のベッドに腰掛けた。
「コンちゃんに写メ送ってて言われてさぁ」携帯を取り出した。
「送らなくてもいいの!」金剛のオバカ!
約束したのになどとブツブツと文句を言う祐輔を無視し、私は南西向きの窓から差し込む冬の日差しを楽しんだ。
優しいブルーのカーテン、白い壁に、オークの床、クローゼットと壁棚もオークだった。家具はデスクとテレビ、そしてロングのセミダブルベッドだけのスッキリとした祐輔らしい部屋。壁には高校バスケでインターハイに出場した時の記念写真と、大学在学中に取得した資格免許が飾ってあった。

「瑠璃. . . 」祐輔はいつのまにか優しい顔で私を見つめていた。
「祐輔?」
「瑠璃が帰って来た」私をその長い腕で抱き込むと、優しく髪を撫でた。「瑠璃、瑠璃、瑠璃. . . 」
「. . . ゆ、すけ. . . 」胸が詰まる。

付き合っていた頃には何度も遊びに来てた。けれど結婚して二人の生活が始まり、ママの介護、私の病気と、随分ご無沙汰していたなと思う。部屋は清潔で埃も払われ、シーツも洗い立てで糊とアイロンまでかかっているようだ。

. . . . . . ごめんなさい。
自慢の息子の帰宅がこんなで. . . . . . . . . ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。









シーン5-2 "スケアリモンスタ"

気を紛らわようと眺めている景色にさえイラつきを覚える。長閑で良い場所だと思った。
. . . . . . たしかに昨日は。


私は安定剤の効き目が現れるのを待っていた。ソワソワと落ち着かず、動けないのに、じっとしているのが辛い。. . . . . . 『気分変調』磯崎医師の言葉を心の中で繰り返す。調子の悪いときは薬を飲む。休む。やり過ごす。そして気分の良い時、良い日が続き. . . . . . . . . ほんとかな?
情けない。情けない。いつまで自分はこんなに情けない状態が続くのだろう。

こみ上げて来る涙がポロリとキティちゃんのリボンに落ちた。




「瑠璃、たっだいまぁ!」祐輔は帰宅すると必ず大声で私を呼んだ。たとえお義母さんが目の前にいてもだ。
そしてガバっと私に抱きつく。
「おかえ. . . 」
ムギュっと抱え込まれ言葉が詰まる。私達の足元ではタロが構ってくれとワンワン催促していた。
「まあ、賑やかだこと」
最初は驚いていたお義母さんも、三日もすれば慣れてしまい、今も平然と笑っていた。
. . . . . . この親にしてこの子ありだ。
「今日はすき焼きよ」手を洗ってらっしゃいと義母に促され、祐輔はわざわざ私の手を取り洗面所に向かう。
「祐輔。私、準備を手伝うから. . . 」
あ〜ら、良いのよ留璃子さん、と背後から朗らかな声が追いかけて来た。
「スキヤキスキヤキスキヤキ」
子供みたいに節を付けて歌う祐輔に呆れかえる。
「祐輔。いくら自分の親だからってもう少し気を使えないのぉ?」
「へ?何が?」
. . . . . . . . . ったく、育ち良過ぎ。


キングサイズの自宅のベッドとは違い、ロングサイズとはいえ祐輔の部屋のセミダブルに二人で眠るのはとても窮屈だった。
. . . はっきり言って寝苦しい。

義父母にお休みなさいの挨拶をして、パジャマに着替えた私はさっさとベッドに横たわった。
「ええ、瑠璃ぃ〜もう眠っちゃうの?」祐輔は口を尖らせる。
「眠剤飲んだら、眠れても眠れなくても横にならないと」とか言いながら、かならず先にイビキをかき始めるクセに。私は内心で突っ込みをいれた。
「ちぇ、一緒にDVD見ようと思ってたのに。じゃ、僕も寝る」
それでも顔はニコニコと嬉しそうだった。よいしょっと大げさに上掛けを直し、私を抱きかかえるとリモコンで灯りを落とした。
「おやすみ、瑠璃」
「おやすみ、祐輔」

眠剤を飲んでも私の寝付きは悪く、眠りは浅いかった。優しい眠りは長続きせず、大抵夜中に目覚めてしまい、夜明けまではかなりの時間があった。眠くはあるけれど、一度目覚めると再び寝付くのは難しい。

私を抱き枕みたいに抱えて眠る祐輔の姿に、鼻をつまんでやりたくなる。
. . . . . . でも、病室の天井より祐輔の寝顔の方がマシか。
気持ち良さそうに眠る祐輔の鼻先を、私は小さく弾いてやった。ムニュムニャと呟いた祐輔は軽いイビキを止た。やがて呼吸がスースーと静かになり、深い眠りに落ちて行く。

. . . . . . 私も、きっと眠れるようになる。きっと、きっと。









シーン5-3 "スケアリモンスタ"

お義母さんのお弟子さん達が離れに集まる賑やかな声が聞こえた。
今日は午後からの稽古日だった。

『離れ』とは呼び名だけで母屋と続きになっている。お稽古場の玄関は別構えで、広い板間と縁側、水場とお手洗いが備えられていた。
義母はこの地方では名門と言われる華道の家元の娘で、多くの弟子をとり、地元で行われるレセプション会場などで生け花を披露していた。そんな名家出身の義母が私は苦手だった。. . . . . . . . . ママは、私の母親は、兼業農家の生まれで素朴な人だった。

四年、否、もう五年前だ。私と祐輔は付き合い始めて直ぐに結婚の約束をした。祐輔が両親に報告をすると、では私の家に挨拶に立ち寄らせて貰いたいと言われた。
祐輔の母親は紫色の風呂敷で包まれた手土産を鮮やかな手つきで取り出し、お口汚しですがと上品に挨拶をした。そして用を済ませた絹縮緬を一種の儀式的な優雅さで畳むみ、さっと和服の袖に隠したのだ。利休鼠と呼ばれる渋い灰掛がかった深緑色の着物に、凝った刺繍の半襟。ゆるく結い上げた髪に、鼈甲のかんざしのみを飾った姿はとても上品でいて、そこはかとなく粋だった。

その洗練された立ち振る舞いを目の当たりにして、ママはかなり引け目を感じてしまったようだ。お茶を出す手は震え、緊張した面立ちは緩まず、とうとう最後まで会話に溶け込めなかった。ママだって品の良い、淡いグレーに生成りのブレードを配色したシックなシャネルスーツを着ていたのに。結納も、結婚式でも、ママは気が重そうにしていた。いつも口にするのは『私など』の一言。
. . . . . . 祐輔のお義母さんはちょっと浮世離れしてるところはあっても、気さくな良い人間だった。もう少し付き合えばママも仲良くなれただろうな?

ふと思い浮かんだ考えにつきんと胸が痛んだ。




週末、祐輔と二人きりだった。
お義父さんはゴルフ、お義母さんは華道展の打ち合わせを兼ねお食事会だそうだ。

タロの散歩を終えて帰って来た祐輔と暖かい緑茶を飲んだ。すっかり短くなった冬の陽は、もう西の窓から部屋を照らしていた。
はしゃぎ過ぎて疲れたタロが私の膝の上で眠っている。くぅ〜ん、と小さな寝言が聞こえ、二人で顔を見合わせ笑う。
「今の、タロの寝言だよね?」
「ああ、こいつ生意気だよなぁ」瑠璃の膝まで占領してと、祐輔はタロの鼻を摘んだ。
タロはもぞもぞと動くと、体をさらに丸めて寝心地の良い姿勢をとった。体重5~6キロしかないタロの心地よい重みと暖かさに、私は幼い頃の弟達を思い出した。

「瑠璃. . . 」
祐輔は私の手にした湯飲みをテーブルに置くと、肩に手を回しグっと包み込むように抱きしめた。
「瑠璃が笑ってる」
「. . . 祐輔」
「実家に来るの、断るかと思った」
「. . . 迷惑、掛けちゃって. . . 」義父母のさり気なく温かいもてなしに、自分の親不孝を思い出す. . . とても居たたまれない申し訳ない気分になる。
「瑠璃、迷惑とか変なこと言うなよ!病気の時は面倒見てもらうだろ?熱あったら氷枕、お腹壊したらお粥って、普通のことじゃね?」祐輔はキッパリと言った。
「. . . でも」
「瑠璃ってば、琥珀君の言った通りだ」
「え?琥珀?」
「うん。退院後どうするのか聞かれて、僕が仕事休むからって言ったら"瑠璃子ネエは絶対反対するぞ"って」頑固だからって言ってたよ、と付け加える。
「琥珀の奴. . . 」見抜かれてた。姉としてなんか悔しい。
「でさ、瑠璃の家みたいにお手伝いさんに来てもらうっても考えたんだけど、二人で実家に帰るのどうかな?って言ったんだ」
「そしたら?」
「うん。琥珀君も良いアイデアだって」
「. . . 琥珀ったら。お義父さんやお義母さんの迷惑も考えないで. . . 」他人の親に面倒掛けると解っていて賛成するなんて、琥珀らしくもない。どういうつもりなんだろ?
「それも琥珀君言ってた!迷惑かけられないって瑠璃ネエは絶対反対するぞって。」祐輔はハハハと笑った。
「へ. . . ? 」
「瑠璃。迷惑なんて思うなよ」私の顔を覗き込むと頬を優しく摘んだ。琥珀君がさ. . . 」
祐輔は照れくさそうに私から目を逸らし、タロの頭を撫でた。「僕の両親なら良い人達だろうから、瑠璃も安心して過ごせるって言ってくれた」
でも、瑠璃が嫌だって言い続けたらどうしようと思ったんだけどね、と笑った。

そうか、そうだったんだ。だから祐輔はあんなに強く自分の実家に私を連れて行くと言い張ったんだ。

「僕さ. . . 」
「ん?」
「ちょっと、琥珀君苦手で. . . 」祐輔は口ごもる。
「. . . え?」
「あ、嫌いとかじゃないよ!好きだよ!頭良いし、話し面白いし。なんか、何でも出来るって、男から見てもカッコいいし. . . . . . だけどさ、前に瑠璃が入院した時、ちょっと言われた事が、嫌だったっての? 」
「琥珀に、何を言われたの?」
「. . . ん. . . 無責任だって」
「ええ?いつ?」
「藤波総合病院入院した時. . . 瑠璃がICUに入って一般病棟に移動したろ?」祐輔は私から視線を逸らし、ぼんやりと窓の向こうを見た。

ああ、一酸化炭素中毒の治療を受けた時だ。死のうとして. . . 祐輔に発見されて. . . . . . 腹の底にずんと重みを感じた。

「なんで瑠璃の側に居てやらないんだって、すっげえ顔で言われた。無責任だって」祐輔は言いにくそうに、僅かに顔を歪めた。「医者に呼ばれた時も同じ事言われた。どうして付き添わないのかって. . . 看護士長さんにも廊下の真ん中でワザワザ注意された」
「. . . 知らなかった」
「あの時さぁ、瑠璃、僕に帰れ、仕事行けって言ったんだ」祐輔は項垂れた。
「そ、う、なの?」
「やっぱ覚えてないんだ。琥珀君もさ、病人のうわ言を真に受けて離れるなんて気が知れないって. . . . . . . . . し、死んじゃう、かもしれないんだぞって」
「え?」
「. . . 怖くて、怖かった、すごい怖くて. . . 目の前で瑠璃が死んじゃったら、どうしようって. . . . . . 」
私の肩に回した祐輔の手が震えている。俯いた顔は真っ赤で、涙を堪える為かしかめっ面をしていた。

知らなかった、知らなかった、知らなかった。

私は自分の苦しみで手一杯で、祐輔の苦しみを知らなかった。私が与えた恐怖を祐輔がどんな気持ちで受け止めていたのか、考えた事も無かった。
私は祐輔の首に両手を回し、グイっと引き寄せた。頬と頬を、互いの顔が見えないくらいピッタリとくっつけて、さらに力をこめた。
「. . . る、り」
「ごめん. . . 」
「瑠璃?」
「ごめん. . . . . . ごめん. . . ごめんね. . . . . . ごめんなさい. . . . . . 」
私達は互いを抱き合う腕に力を込め、ぬくもりを感じ合った。どちらのだか解らない涙で、頬はぐしゃぐしゃだった。

それでもタロは、私の膝の上で静かに寝息をたてていた。









シーン5-4 "スケアリモンスタ"

翌週末、私達はいよいよ我が家に帰る。

退院のお祝いだと、義父母から洒落た懐石の店に招待された。立派な門構えから一歩店内に足を踏み入れると、思ったよりモダンな内装が施されていた。私達は予約された奥の個室に通される。高い天井には立派な梁が通され、一枚板のテーブルの足元は掘りごたつ風になっていた。足元の暖房がとても気持ち良い。

「乾杯!」お義父さんがグラスを掲げる。
「乾杯!留璃子さん無理しないでね」
「ありがとうございます」私は心から頭を下げた。
「ありがとう、父さん、母さん」祐輔もニコニコと頭を下げた。

和気あいあいあとした食事に、義父と祐輔はグラスを重ねていた。自然話も弾み、祐輔は父親をからかい始める。
「父さん90切ったんだって?上達したね?!」
「ああ、あのコースは難しいぞぉ。祐輔、お前は今度一緒に回るか?」上機嫌で義父は頷いた。
「行かない。瑠璃がやらないから」
あっさりと答える祐輔に、私は居たたまれず口を挟んだ。
「祐輔、お義父さんにご一緒ささせてもらったら?」
「ええ?瑠璃ゴルフ行けるの?」
「いけ. . . 行かないけどお義父さんと行って. . . 」
「瑠璃が行かないなら、僕も行かない」
そんな、私が行かないからって. . . . . . お義父さんだってたまには息子とコースに出たいだろうに. . . . . . 。
私の心配を他所に祐輔の父親は悠然と口を開いた。
「後な、一年もすれば、俺だって留璃さんと良い勝負で回れるようになるぞ。その時は祐輔を置いて行ってやろうな、留璃さん?」義父はハハハと笑う。
「まあ、お父さんったら良く言いますね」お義母さんは悪戯っぽい表情をした。「あなた達にコテンパにされたんですって?婚約中の頃だったかしら?あれから若い物には負けられんって特訓したのよぉ!」

私は内心で苦笑いした。高校の頃におもしろ半分で始めたゴルフも、琥珀と競い合う間に気づけばシングルハンデになっていた。8日のマウイ旅行で11コース回ったこともある。そりゃ上手くなるはずだった。片や祐輔の父親は日曜ゴルファーでキャリアも浅かった。義父は後半自らスコアを崩して大たたきしていまい、手加減のしようが無かった。
. . . . . . ははは、お義父さんやっぱり気にしてたんだ。

「か、母さん!違うぞ、若い人達の足を引っ張らない様にだなぁ. . . 」
「はいはい。レッスンプロっておっしゃるの?若田手さん。その奥様がね. . . 」
「さ、もっと注文しなさい!」これ以上暴露さられんとばかりに、義父は慌ててメニューを差し出した。「留璃さんも食べれそうな物があったら遠慮せんで言いなさい」
「はい、ありがとうございます」食べられないけれど、ありがたく気持ちだけは受け取っておく。

さり気ない会話の中で、祐輔がどうしてこれほど真っ直ぐに育ったのか体感する。椙山家にの日常は真面目で優しく、そして暖かい。私から見れば過保護に見えた祐輔の両親の言葉も、中に入って暮らしてみれば親として、家族として当然の物だったのだと理解出来た。
. . . . . . ああ、そうなんだ。親は子を心配するんだ。親は子になにかしてやりたいと思い、健康であれと願うものだったんだ。

祐輔の父を見る。さすが大企業の重役まで上り詰めた人。ロマンスグレーとまでは言えないが、人をそらさない当たりの良さと、押し出しの強さをバランス良く感じさせるナイスミドルだ。六十二になっても好奇心を残したその目元は祐輔にちょっと似ていた。
ふふふ、将来の祐輔はこんな風に. . . . . . 。
義父と目が合うと彼は微笑んだ。
「瑠璃さん。自分の家だと思って何時でも帰っておいで」
「. . . あ. . . は、い」
「そうよ留璃子さん。疲れたら休む所だと思っててね」義母も微笑む。
「. . . はい」
「ありがとう。父さん、母さん」祐輔は私の肩に回し、両親に向かって頭を下げた。
「. . . . . . あ、りがとう、ござい. . . 」

言葉にならず、みっともない姿を晒している. . . . . . . . . それでもこの人達は私を受け入れてくれるのだろう。
そう思うと、また涙がポロポロ落ちた。









シーン5-5 "スケアリモンスタ"

祐輔は元気一杯で出勤して行った。冬の朝、吐く息は白く部屋着のままでエレベーター前まで見送った私は、凍えそうな体にブランケットを巻き付けソファーに横たわった。

義父母の家に10日もお世話になり、この週末に帰宅した私は、怖々と歩を進めるヒヨコのようだった. . . ついて歩く親鳥が居ないので、捨て猫かもしれない。つまらない考えに浸り、しばし一人の空間に身体を馴染ませて行く。

菓子パンの朝食と弁当の夕食。部屋の掃除機かけ、お風呂場やお手洗いの掃除、洗濯。何もしないで一日。
大きな南向きの窓から、青い空に浮かんだ流れの早い雲を見上げる。顔に当たる日差しの暖かさを感じながらお気に入りのソファーに寝転がっていると、ようやく自分の家に帰って来た実感を感じた。


「家事代行サービスってあるんだろ?それ、申し込もう」祐輔は言った。
「それは、あんまり. . . 」
他人をこのマンションに入れるのは嫌だ。他人と会話するのも。考えただけで疲れちゃう。
「どうして?瑠璃の実家でも頼んでただろ?」
「ん. . . . . . 」
実家で家政婦さんを雇い始めたのはいつ頃だっただろう?大学生の時はまだ私が家事をしていた記憶がある。では、社会人になってからだろうか?通いのお手伝いさんの愚痴をママから聞くようになったのは?

実際、紹介所から訪れる人はほとんどが短期の出稼ぎ感覚で、ある日突然『嫌になったから今日で辞める』と言い出す。さらに"家政"を得手とする人を派遣してもらえるとは限らない。自分の親よりも年上の女性が、手際悪くモタモタと家事をこなすのを見てみぬ振りするのは苦痛だった。予算も冷蔵庫の中身も一杯なのに、朝食のメニューはご飯とみそ汁、お漬け物だけ。夕食はそこに鯵の開きが追加されるくらい。
. . . . . . . . . 家政婦さんが居ながら、何故私が会社の帰りにデパ地下でお惣菜を買って帰らなければならないのだろうと、釈然としなかった。残業出来ず家に仕事を持ち帰らなければならないのに。

実家のリビングには手の込んだシルクの段通絨毯が敷かれていた。それに衣料用洗剤を振りかけ、鮮やかな染色を落としてしまった人がいた。取引先から貰った生のタラバ蟹を、私が止めるのも聞かず鍋で茹でてくしゃくしゃに水っぽくしてしまう. . . . . . . . . 職業に従事するとは思えないほど家事が不得手な人の多かった事。
なのに、女主人に対し馴れ合いからか遠慮を失い我が物顔で家を取り仕切ろうとする。
たまに腰の低い人だと思えば、高価なバッグが無くなった。私の結納式の為、祐輔の実家椙山家に負けじとパパがママに買い与えたバッグが消えてしまい、質屋に売り飛ばされる寸前で取り戻した事件もあった。クロコダイル素材に、ホワイトゴールドの金具とダイヤをあしらった、エルメスの名品であるバーキン。
「恩知らずの泥棒猫がぁ!!」自分より年上の女性に対し、口を極めて罵るパパ。
身体をブルブル震わせ、青ざめた顔に涙をうかべる小太りの家政婦さん。罵倒のあまりの激しさに、暴力を予感してしまったのだろうか?両手で自分の身体を守る格好でうずくまる。そして、矛先はママにも。
「手前ぇはなんてダラシ無い女だ!クズめ!クズだからお手伝いなんかに舐められるんだ!!」
ママはヒィと声にならない悲鳴を上げ、私の後ろでますます縮こまる。それが気に入らないパパは指を突きつけ、更に汚い言葉を投げつけて来る。指は真っ直ぐ私に向けられて、まるで私を罵っているようだった。
「ニンゲンのクズ」


気づけば、またグルグルと過去を巡っていた。今さら訂正のしようもないのに、何故私はこうまで引きずられてしまうのだろう?呼吸が早く、鼓動が煩い。首筋がコチコチに固まり、肩甲骨の当たりまで強ばっているのを感じる。不安な心が、胸苦しさと頭痛を煽っているようだった。頓服の安定剤を飲む必要がありそうだ。
コクコクと水で薬を流し込みながら、同じ事を繰り返すデジャブに身体が震えた。再びソファーに身を横たえると、どうしたら良いか、どうすべきか考えた。判断力も集中力も無くなった頭はぼんやりとしか働かない。すっかり私に懐いてくれたタロの替わりに、小さい方のキティちゃんを抱き寄せる。タロの暖かさが懐かしい。



重い身体をソファーから起こす。私は電話を手に取り登録電話を検索した。ボタンを押すと、受話器の向こうからフリーダイヤルの呼び出し音が聞こえた。

『東中央病院、予約センターです』事務的な明さで女性が電話に応える。
「予約を、お願いします」声が震えないよう、私はゆっくり話した。
『ハイ、何科にお掛でしょうか?』
「精神科、です」
『ハイ、担当医の名前をお願いします』
「多岐川先生を. . . . . . 臨床心理の多岐川先生です」









シーン5-6 "スケアリモンスタ"

「こんにちは、椙山さん」
「こんにちは。よろしくお願いします」

こちらこそと言い、多岐川先生は私に椅子を勧めた。
圧迫感を感じない程度に狭い臨床心理室には、私達が向き合っている大きめのデスクと、本棚、小さな箱庭と何故だから沢山の小さな人形が置かれていた。男性、女性、子供、動物、特撮ヒーローに出て来る怪獣みたいな物まで種類豊富だった。
. . . . . . 弟達が幼い頃に遊んだブロックごっこみたい。何に使うのだろ?

デスクを挟んで角と角、90度になる心地よい位置に私と多岐川先生は腰掛けていた。一時間も正面に向き合えば正直苦痛になるだろう。外国の映画であるような長椅子に寝かされるのはもっと嫌だ。

「椙山さん、最近はどうですか?」
「あ、はい。中断してしまって申し訳ありません」月二回のペースで通っていた多岐川医師との面談を、三度の入院でうやむやにしてしまった。患者一人に一つの時間枠をきちんと割り振っているのだ。迷惑を掛けていないはずは無い。
「ああ、椙山さん気にしないで下さい。あまり調子が良くない時に会話をするのは疲れますからね」休むのも必要なんですよと医師は微笑んだ。「タヤマ病院を退院されてから、今はお家にいらっしゃるんですね?」
「はい」
「お食事とかどうしていますか?」
「朝は菓子パンで、夕食はお弁当か冷凍食品などです。私は、何もしていません」
「お買い物は?」
「主人に連れて行ってもらうか、仕事帰りに買って来てもらいます」
「そうですか。それは良かったですね」多岐川先生はニッコリ笑った。
良い?そんなワケない。仕事をしている祐輔にまともな食事を出せないばかりか、買物までさせているのだ. . . 。
「優しいご主人で良かったですね、椙山さん」
「. . . はい」私は頷いた。そうだ祐輔はとても優しい、それなのに私は?「. . . 私は、私は、何も出来なくて. . . 」
「良いじゃないですか。ご飯食べて、生活できれば?」
あっさりと言われて、私は面食らった。
「え?でも、掃除や洗濯も. . . ゴミ出しまで主人に. . . 」面倒なゴミの分別まで祐輔はいつの間にか覚えていた。時々、可燃ゴミの袋からカーンと金属音が聞こえるけれど。
「ご主人は不満でもおっしゃってますか?」
「いいえ」私は首を振った。
「では、問題は無いようですけど?」多岐川先生は再びニッコリ笑った。
「あ. . . はい」

改めて目の前の女性を見た。以前は長かった髪を短めのレイヤーにして明るめのカラーをしたようだ。私と同い年位かと思っていたけれど、よくみれば少し年上の四十といったところだろう。美人とまではいかないけれど、多岐川先生の笑った顔は優しく親しみやすい。力のある瞳には穏やかな外見とは違った、高い職業意識や、意志の強さが感じとれた。

「外出や、趣味などはどうですか?」
「いいえ。あまり、出掛けたくありません。趣味も. . . 本を読むのも直ぐ疲れてしまい、一日ぼんやりしてます」
「そうですか。のんびり過ごすのは良いですね。椙山さんは、たしか学生さんの頃からお家の事をしていたんですよね?」多岐川先生はカルテも見ず私の過去に触れた。
「あれは、私の下は男ばかりですから。私が、私がやらないと家が. . . 」
多岐川先生は何も言わず私を見つめている。
私は言葉に詰まる。
「. . . 母は. . . 母も、病気、だったのでしょうか?. . . 母も、私と同じ?」疑問を初めて口に出した。
ママ。
家に帰って来ない。
安代おばさん、ママの幼なじみから引き取りに来てくれとたびたび連絡があった。家に居ても部屋に籠りっきりで、姿を見せてくれない。ようやく会えたと思えば、酔ってたり、泣いてたり、全然口を聞かない. . . 小さな自分だけの殻に閉じ籠ってしまう。


物心ついた時、私達は大きな家に住んでいた。当時としてはモダンな洋館で、パパは大きな車に乗り、庭には芝生とブランコがあった。突然小さなアパートに引っ越したのは、金剛が産まれた翌年で、私が十才で小学生の時だと思う。四年後、私が中二になった年、再び大きな家に引っ越した。庭に大きな石と沢山の植木があり、池には錦鯉が何匹も泳いでいた。屋根付きのガレージには外国車が数台あり、子供達も全員新しい自転車を買ってもらった。
ママの笑顔は以前より減ってしまった。

『コン、お着替えしようね?リエ先生待ってるよ』私は幼稚園のスモックを金剛に着せながら、テレビの画面で正確な時刻を見た。
今日もギリギリ!中学までは歩いて20分、早く家を出ないと遅刻してしまう。
『黒曜!給食の布巾替えたの?』私はテレビから目を離さない二番目の弟に注意をした。
『あ、まだ. . . 』ご飯をモソモソと食べながら返事を返す。
『黒曜、ハンコ押しといたから連絡帳も忘れずにね!』言いながら、金剛の小さい頭に黄色い帽子をかぶせてやった。
『るりちゃ、ママのとこ行きたい』ベソをかきながら訴える。幼い金剛は目が覚めてからずっとグズっていた。
『コン。ママは病気だから寝てるんだ』最近急激に背の伸びた琥珀が、小さな弟をスっと抱き上げると目と目を合わせた。『コン行くと、ママ起きちゃうぞ。起きると、病気治らないぞ。良いのか?』
金剛は園児用の斜めがけバッグを抱きしめ、激しく首を横に振った。
『嫌だ!嫌だ!嫌だ〜!!』
『だろ?』
琥珀は金剛の小さな頭を撫でなると、朝食を終えた黒曜の膝の上にポンと載せた。
『じゃ、黒曜。ちゃんとコンが幼稚園バス乗るまで目を離すんじゃねえぞ』
『うん』
金剛の通う幼稚園はバスの送迎がある。保護者は家の近くの集合地点に園児を連れて行き、見送り、出迎える。中学生の私と琥珀はどうしても時間的に朝の見送りができない。可哀相だけれどまだ小学生の黒曜に頼むしか無かった。
『解ってるか黒曜?バスに乗るまでだぞ。昨日みたいにバスが見えたからってコンを置いてサッサと消えたら承知しねえからな?』琥珀は冷ややかな目で二つ年下の弟を見下ろす。
『なんだよ琥珀兄ィ。俺、消えたんじゃないぞ!ガッコ行っただけだ』兄の厳しい言葉に、黒曜はむっつりと膝の上の金剛を睨みつけた。『だって、コンの奴が勝手について来て. . . 』

昨日、お迎えのバスに乗ったとばかり思っていた金剛は、チョロチョロと大人の隙間を抜け兄の黒曜の後をついて行ってしまったのだ。その後、表通りの交差点の辺りで置いて行かれたらしく迷子になってしまった。幸い親切な人に幼稚園まで送って貰えたのだけれど、無断欠席の園児が実は迷子で見知らぬ他人から送られて来たなど、大騒ぎになってしまった。事情を聞こうにも両親に連絡も取れず、事態は更に大きくなった。
陸上部の部活を休みバスのお迎えに戻った私は、幼稚園の先生に厳しく詰め寄られ初めて事件を知った。何度も頭を下げ、父と母は出張中と説明したが保護者でもない中学生の姉相手では話にならないと、最後は金剛の退園まで仄めかされた。
パパはしばらく帰って来て居ない。おそらく一ヶ月近くは顔を見ていない。
『コン。コンはね、ちゃんとリエ先生とバスに乗るんだよ』私は着替えとお昼寝用の毛布が入ったキルトのバッグを黒曜に持たせた。『黒曜、これお願い。先生に渡して』
『. . . ん』黒曜はテレビ画面から目を離さず返事をした。
『留璃子ネエ。今日、部活は?』琥珀。
『サボり』私は軽く答えた。
せっかく推薦してもらった部長の座も、辞退するしかなさそうだ。それどころか、試合に出してもらえるかどうかも危うい。辞めるしかないのかな?せっかくタイムが伸びて来たのになぁ。
『サボって大丈夫かよ?』琥珀は学生服の詰め襟を留めながら聞いた。
『二年だもん、ヘーキヘーキ!それより琥珀は道場さぼるんじゃないよぉ?』
『面倒くせぇ!』眉をヒョイと上げた。
パパから強制的に空手なんて習わされた琥珀は、バツグンの運動神経で上手くやっているようだった。. . . もしかして、要領の良さってのも関係あるのかもしれない。
『黒曜もね?』私はまだテレビ画面に向かっている、もう一人の弟にも声を掛けた。
『. . . うん』黒曜は振り向きもせず答えた。こちらもパパに有無を言わさず剣道の道場に連れて行かれた。幸いなことに黒曜は剣道と相性が良いようで、楽しそうに通っていた。
『おい、黒曜。お前いつ昇段試験受けるんだ?』琥珀はからかい口調で言った。
『ふん、黒帯取ったからって自慢かよ』黒曜はテレビから目を離すとムっとした表情で振り返った。
『お前、相変わらずヘッピリ腰直ってねえの?算数ドリルでもやってろよ』
『自分が勉強出来るからってムカつくヤツ!琥珀兄ィ!』
三才下の黒曜は反抗期らしく、姉の私の言葉を煩く思っているようだった。あまり話をしてくれなくなった。これも成長と諦めているけれど、こうやって兄の琥珀に構われて会話をしてる内は大丈夫だと、内心ホっとしている。

自分の頭の上でやり合う兄達を、目を真ん丸にして眺めている幼い金剛に見つからないよう、私はその場を離れた。ママの部屋の扉を開けると、かすかにイビキのような寝息が聞こえた。近づくと明け方帰って来たらしいママの息は酒臭く、化粧を落としていない顔はクチャクチャだった。三日振りに帰って来たママは金剛の迷子騒ぎを知らない。もろんパパもだ。そう言えば、一ヶ月近くは顔を見ていないような気がする?どうぞ、このままパパがもうしばらく帰ってきませんように。
ママのベッドサイドテーブルに水とポカリスェットのペットボトルを置くと、そっと部屋を後にした。

私はスポーツバックを担ぐと弟達に声を掛けた。
『黒曜、コン、お姉ちゃん行くからね!』昼食代をポケットに突っ込む。
隣で琥珀も財布の中身を確認していた。
『るりちゃ〜ぁ!』金剛はまた泣き声だった。小さな手を私のスカートの裾を捕まえていた。
『今日は〜ぁ、コンの好きなハンバーグだからね!!』私は優しく弟の手を外すと、外に飛び出し走り出す。

今日も朝練からサボり。しかも今は生徒会主催の遅刻撲滅週間。書記の私が遅刻するなんて. . . . . . ヤバイヤバイヤバイ!


私はようやく言葉を吐いた。
「. . . . . . あの時の母は」
多岐川先生は黙って先を促した。
「苦しんでいたのに、私は何も出来ませんでした。母は、母は. . . . . . 」ママは苦しんでいた。とても苦しんでいたのに私は、私は. . . 。
「私は、部活や、生徒会や、自分の心配ばかりしてました. . . 夕食を何にしようって. . . 洗濯物が乾いていないとか、幼稚園の先生への言い訳とかばかり考えて. . . . . . 」そうだ結局、金剛は幼稚園から保育園に転園させられたんだった。
「椙山さん」多岐川医師はやんわりと私を押しとどめた。「椙山さんは、中学生だったのですよね?」
「え?はい、そうですが. . . 」
「何もかも出来る中学生なんて居ます?」
「え?」
「中学生や高校生なんて、まだ子供じゃないですか」多岐川先生はいつになく強い口調で話した。「子供だった椙山さんにお母さんを背負うなんて出来るでしょうか?」
「. . . . . . でも、自分の母親なのに?」
「自分の母親だとしても、椙山さんとお母さんは別の人間じゃないですか?お母さんの人生は、お母さんが選ばれたんですよ。たとえ娘であっても、どうこうできるものじゃありませんよ」
「. . . 」
「椙山さんは、椙山さんの人生を生きる。それで充分じゃありませんか?」
違う!私はママを. . . ママは辛い思いをしてる。私が助けないといけない。


多岐川医師の言葉がとても冷たいものに思えた。素直に頷けないまま、私のその日の面談は終了した。




タクシーの窓から流れる街を、私はぼんやり眺めていた。店頭を飾る派手な飾り付けを見て、ああクリスマスだったなと思い出した。
祐輔にプレゼントを用意していない。どうしよう?

. . . . . . 他人には、多岐川先生には、解ってもらえないのだろうか?
ママが選んだ人生は子供達の為だ。だったら娘の私が助けなければ、誰が助けるのだというの?私のセイでママは. . . . . . . . . 。

私のセイ?









シーン5-7 "スケアリモンスタ"

業者のハウスクリーニングに来てもらった。
年末に電話をしたけれど予定は満杯だと言われ、年明けに予約をしたのだ。どうやら業者に大掃除を頼みたいと考えるのは私一人では無いと知り、すこしホっとした。
見知らぬ他人を家に上げ、自分一人で対応をするのは緊張の連続だったけれど、奇麗になった我が家は気持ちの良かった。特に気になっていた水回りがピカピカなのが嬉しい。けっして安くはないし、とても疲れたけれど、思ったより簡単だった。
もっと、早く頼めば良かったかな?


奇麗ついでと、思い切って美容院に電話をする。
「はい、T&Mサロンです」元気の良い若い女性が応える。知らない声だった。
「あ. . . 今日、カットの空きあります. . . か. . . ?」緊張で声が掠れた。
「担当の指名はございますか?」
「タカオさん、お願いできますか?」

偶然にも担当の空きがあり今日の予約が取れた。. . . 明日なら断るつもりだったの幸いだ。
気分の変調は相変わらずだった。昼にはOKだった心も、夕方にはに不安でいたたまれず、出掛けるなんて絶対無理なんて日も多かった。
でも今なら大丈夫. . . だと思う。

私は腰まで伸びてしまった髪を見ないようにして、シルクニット生地の黒いワンピースを着た。
「うわっ、ダブダブ」思わず腰廻りの布を手で掴む。
胸元がカシュクールになった膝丈のワンピーは、四年前にはもっと身体にフットするデザインだったのに、今はゆとりがありすぎる。
私は鏡とにらめっこした。
「ま、落ち感の良い素材だから良いか」妥協する事に決めた。
小物収納用の大きくて底の浅い引き出しから幅広エナメルのベルトを取り出すと、ローウェストで留めた。
更に鏡を見る。ノーメイクに黒は写りが悪過ぎた。
「化粧品、しようかな?」
ドレッサーの引き出しを開ける。「あ、コレ. . . 」愛用の化粧品の横に、ポーチに入れたままのコンビニコスメが目についた。元気なフリをして尾大病院を退院する為に、買ったワンセットだ。
. . . 百合枝ちゃん達どうしてるかな?

私は誰とも携帯番号やアドレスを交換せずに尾大病院を後にした。年末まで居たタヤマ病院の人達とも。随分仲良くしたり、お世話になった人も居たのに。
. . . どうしてだろ?私って薄情なのかな?

自分の行動に疑問を巡らせながら、久しぶりに化粧をした。ほんの薄いものだった顔色が冴えて見え、気分が良かった。
「でも、ちょい寂しいかな?」
少し考え、フランクミューラーのカラードリームをアクセントとして手首に巻いた。ピンクゴールドにベージュのクロコバンド、文字盤は複雑で深いブルーの上に、カラフルな数字が並んでいる。美容院に着いてからピアスやネックレスを外すのは面倒だ。時計ならここ数年のトレンドを知らなくても外れは無いだろう。. . . 多分。

ウォークインクローゼットの奥に入り、カシミアキャメルのロングコートと黒のケリーバッグを手に持った。ふと鏡に写った自分の姿を目にしてしまった。
「う〜ん、ケリーは固過ぎ」とても気に入ない。
私は棚を見回す。ふと薄茶のボッテガ・ヴェネタが目に付いた。上質の皮を、平織りの形で重ね編み加工したエレガンスな大人のカジュアルバッグ。そうだ、腕時計のベルトに合わせバッグもベージュ系を選ぶのがベターじゃない?コートも茶系でバランスが良い。. . . 美容院でコートを脱ぎワンピー姿になった姿を考慮すれば、ブーツは絶対黒だ。
久しぶりのコーディネートは二十分も掛けた。
「はぁ〜、家を出る前に疲れちゃった」


タクシーを降り、店の前で大きく深呼吸する。
大丈夫。十年以上も通っているお店だ。いざとなったらタクシーを呼んでもらって. . . 。
微かに震える手で私は美容院の扉を開けた。
『カラ〜ン、カラ〜ン』ドアベルが鳴る。
黒い制服に小さな名札を付けた人物が振り返った。
「ああ!留璃子さ〜ん!お久しぶりぃ!!」
「「いらっしゃいませ〜!!」」さらに、店の方々から元気の良いかけ声が私を迎えた。
「お久しぶりです」私は、ちょっとくすぐったい気分を感じた。


美容院の入居するビルにあるデリカで"健やか美味御前"とネーミングされた弁当ときんぴらサラダを買って来た。心身ともにクタクタだったけれど、夕食の準備は要らないと思えばホッとする。
. . . . . . ホっとする?
情けない。仕事もせず日がな一日ぼんやりしてるだけなのに、情けないな。ガクっと額をローテーブルに載せる。
シャラシャラと、短くなった髪の音が耳に響く。

二年以上も伸ばしっぱなしだった髪は、肩下がりのストレートで切られ、前髪は癖を生かした自然な流れを作っていた。染めていない地毛の黒さは、とっておきのトリートメント効果でツヤツヤとしている。久しぶりに整えた髪を見るのは気持ちが良い。自分の顔を見るのはまっぴらだけれど。


「瑠璃、可愛い!!すっごい可愛い!!」弁当を食べながら、祐輔は何度目になるかの言葉をくれた。
「やだ、そうかな. . . 」私は照れ隠しにお茶を口に含んだ。久しぶりにした化粧も落としていない。
「本当に、瑠璃って可愛いね!絶対三十六には見えないよ〜!!」
「. . . 」
「瑠璃、良い匂いする」祐輔は、私の肩に手を回すと髪に鼻先を埋めた。「瑠璃ぃ. . . あのさぁ、一緒にジャグジーはいらない?僕、準備して来るから?」
「. . . 」
「ね?瑠璃?」
「今日、もうシャワー浴びたの」
「お風呂はさぁ、別じゃん?」ね、と祐輔は照れた表情をした。
「知らないの祐輔?冬のお風呂はお肌の潤いを奪う、言わば美肌の敵なのよ。もう三十六だし気をつけないとね」私は目の前のお弁当箱をガサガサと重ねた。「久しぶりに美容院行って疲れたぁ。歯を磨いて寝よぉっと」席を立つ。
「え〜え〜瑠璃ぃ〜」





「美容院に行きました。スゴく久しぶりです」私は多岐川先生に報告した。
前回の面談で彼女の言葉を冷たく感じた私は、今日はキャンセルしようかと思った。しかし電話をするのが怖かった。予約を無視もできなかった。
「良かったですね」彼女は大きく微笑んだ。
「あ、ありがとうございます」

しばらく最近の日常生活について話をした後、多岐川先生は軽く机に身を乗り出した。

「椙山さん。現在の自分で、過去の子供だった自分を褒めてあげませんか?」
「え?」
「子供の頃、悲しい時や、辛い時がありましたよね?」
「. . . はい、少しは」
「その子供時代を自分で褒めてあげて下さい」
「. . . あの?自分で自分を?」私は多岐川先生の話に面食らった。過去を憐れめって言うの?臨床心理士が?
「もちろん、大人として子供を慰める気持ちでですよ。話を聞いてあげて、労って、慰めて、褒めてあげて下さい」彼女は私の戸惑いに気づいたのか、ゆっくり噛んで含めるように話を進めた。
「. . . 」
「椙山さんと、女の子は同じバスに乗り合わせます。そして少女の話を聞いてあげるんです」
. . . . . . バス?
「少女は心に抱えていた気持ちを、隣に座った大人に話します。聞いた大人はウンウンと、辛かったね、頑張ったねと、心から褒めあげます。そして抱きしめてあげてください。もう頑張らなくても良いと」
私は多岐川先生の話に圧倒されていた。
「すると少女はバスを降りられます」

彼女は私の目をじっと見つめて離さなかった。









シーン5-8 "スケアリモンスタ"

何故か私の思い描くバスは、乗った事も無い田舎街を走る古いものだった。ガタガタと揺れる車体、色あせた緑の布が貼られた椅子。

その少女は小さかった。まだ小学生くらで、長い髪を両分けに結んでいた。左右の位置が違うのは鏡を見ながら自分でゴムを巻いたからだ。よく見ればゴムの色も黒と茶でバラバラだった。

私は少女の隣に腰掛けた。
バスに揺られながら、しばらく二人で並んでいた。
『あたし、パパが怖い』女の子はポツリと言った。
「うん」
『パパは子犬を殺したの。蹴飛ばして殺したんだって』
「うん」覚えてる。
『琥珀も、黒曜も、コンも蹴飛ばすの。コンが泣くからって怒って蹴るの。コンはまだ赤ちゃんなのに』少女は日に焼けた素足スニーカーを履いていた。床に届ききらない足をブラブラとさせていた。
『あたしパパに背中、蹴飛ばされた。スゴく痛くて、ずっと痛くて、おしっこが赤くなって、死んじゃうのかって思った。怖くて病院行きたいって、ママに言ったの。でもね、あたしが病院に行くとママが怒られちゃうんだ』
「. . . 」
『ママも蹴飛ばされるよ。顔を叩くと、よその人に痣が見えちゃうでしょ?だから叩かないで蹴飛ばすんだって。叩くと、ママのおじいちゃんもスゴク怒るんだ』

おじいちゃん。
おじいちゃんのお葬式の後、ママはしばらく部屋から出て来なかった。そして、池のある大きな家に引っ越した。ああ、あそこはおじちゃん家だったんだ。夏休みを過ごしたママの実家をどうして今まで思い出さなかったんだろ?

『パパはママにスゴク暴力をふるうの。血が一杯出た時があって、留璃子助けてって言われた. . . けど、怖くて助けられなかった』
「子供は大人を助けられないよ」私は思わず口を挟んだ。
『でも、助けてってママが、言うのに』
「ママは無理を言ってる」
『あたしのセイだから、仕方ないんだよ』少女は背筋をピンと伸ばしたまま、それでも視線は上げない。
「何が?」
『パパと離婚できないのはあたしのためなんだよ』
「パパを選んで結婚したのはママだよ」
『違う。違うの。ママはね、あたしが、留璃子が、産まれるから我慢してパパと暮らしてるんだよ。ママはね留璃子が居なかったら、パパとすぐ離婚してたって』

私はハっとした。. . . . . . るりこが うまれる から ?

『あたしのセイでパパと結婚したから、酷いことされるだよ。だからあたしがママを助けないといけないんだ。琥珀も、黒曜も、金剛も、お姉ちゃんが守るんだよって』感情を表に出さない、淡々とした口調で女の子は続ける。『でも、あたし出来ない. . . ママを助けられない。弟達も助けられない. . . . . . だってパパ怖い』少女は泣くまいと我慢し、小さな手をぎゅっと握った。

『ママは、ママのこと助けられない留璃子は嫌いなんだよ。あたしのセイだから。あたしのセイだから』女の子は唇を震わせた。
私は衝動的に少女を抱きしめた。すっぽり腕におさまる華奢な身体には、父親に蹴り飛ばされ家具にぶつかった痣が見えた。
『なんで、パパと結婚したのかな?ママはパパと結婚しなければ良かったのにね。いずみちゃんのパパも、美加ちゃんのパパも、蹴っ飛ばしたりしないって言ってたよ』

胸が痛い。どうしてこんな子供を. . . 自分の子供をこんな目に遭わせるのだろ?

『パパはね、誰も愛せない人だってママが言ってた。ママのことも、子供達のことも好きじゃないって。自分しか愛せない人間なんだって』あたしのことも愛していないんだよ、と言った途端にポロリと涙が溢れた。
『ママは、ママは、あたしを産まなければ良かったのにね』
「そんなことない!そんなこと無いよ。大人になったらあなただけを愛してくれる人が現れるよ」
少女は黙っている。
「どんなあなたでも愛してくれる人だよ」
『あたしパパが怖い弱虫だよ?』私の腕の中で女の子の震えが大きくなる。
「うん、全然大丈夫」
『ママのこと助けられない弱虫だよ?』
「うん、弱虫も好きだって」
『あたしが産まれなかったらママは. . . 』
「あなたが産まれなかったら、その人は一人になっちゃうよ。あなたをもの凄く愛してるんだよ」
『あたしを?』女の子はハっと私を見上げた。ポロポロと幼い泣き顔を見せる。
「良く頑張ったね。辛かったね。もう、頑張らなくて良いからね」私は少女の濡れた頬に自分の頬を合わせると、ヒックヒックとしゃくり上げる背中を優しく撫でた。
『あたしもう嫌だぁ!ママはどうしてぇ. . . 』
「ママは弱い人だったね」
『パパはなんで蹴るのぉ!』
「パパも弱い人なんだよ」
『だけど喧嘩強いよぉ、怖いよぉ!!』
「本当に強い人は暴力なんて振るわないよ」私は少女の涙を拭ってやりながら言った。「あなたを待っている人はとても優しくて、強いよ」


私と少女は別れを告げた。
バスを降りた私は、ぼんやりと写っていないテレビ画面を眺めていた。止めどない涙は顎を伝い、セーターの胸元までぐっしょりと濡らしていた。泣いていたのは幼い日の私だと思っていたのに、今の私も泣いていたの?顔に手をやると目元は熱を帯びていた。

明日は目、腫れるだろうなぁ?考えながら、うーんと思い切り背伸びをする。

何かが、流れ落ちたみたいな気分だった。             









シーン5-9 "スケアリモンスタ"      

桜の蕾が綻び、ママが死んで三度目の春が来た。

実家に戻るのはママのお葬式以来だった。お寺さんを招き四回忌のお経を貰うのだ。褐色砂岩色のタイルを外塀から使った外見は、こじんまりとした家の多い住宅地で異彩を放っていた。電子解錠式の大きなガレージは開かれ、中すでに車で一杯だった。キャデラック、ファイアーバード、オープンのまま置かれたBMWの隣に、ポルシェとベンツもあった。どうやら弟達はすでに到着しているらしい。

祐輔はハンドルを切り返すと、玄関の車寄せに愛車を留めた。


「留璃子ちゃん!祐輔君!」玄関から飛び出した金剛が大声で呼ぶ。
「コンちゃん!久しぶり〜!」祐輔は嬉しそうに答えた。

親友の再会とばかりにきゃいきゃいと喜び合っている姿は微笑ましい。着慣れない一張羅のせいで、二人ともさらにガキっぽく見える。祐輔の勤めるタヤマ自動車は大企業でも製造業。現場の人間はジーンズ通勤も可で、作業着を羽織ればいいだけだ。金剛に至っては職場のパチンコ店の制服を脱げは、未だに古着中心の十代寄りの格好をしていた。

「コ〜ン。ちゃんとお数珠を持って来た?」私は口を挟んだ。
「ちぇ。ガキ扱いすなよな、留璃子ちゃん」金剛は口を尖らせて見せた。
「瑠璃にかかったら、コンちゃんはいつまでもお子様だね?ははは〜ぁ!」
「あ、祐輔君、俺っち何才になったと思ってるんだ!」
「え?瑠璃が三十六だから、コンちゃんは二十七だろ?」祐輔は、あははと能天気に答えた。
「で、今年三十になる祐輔君は、当然お数珠持ってるものねぇ?」私はわざと優しい口調を使った。
「え?あ、わ、忘れた. . . 」
「ぶはっ!」吹き出す金剛。
「る、瑠璃ぃ〜?」

私のバッグには祐輔の数珠も入れてある。が、しばらく黙っていよう。

じゃれ合う二人を後に残し、私は手入れの行き届いた御影石の玄関路を歩く。
ガラスの埋め込まれた大きな扉の前に立つと、曲線的な装飾を取ってに手を掛けた。
一見ただのアンティーク風だけれどセキュリティシステムが完備されいる扉は、通常オートロックが掛かる設定になっていた。実家に居る頃、私も何度か閉め出されてしまった経験がある。


人が集まる今日はロックは解除され、扉は開いた。
「お邪魔します」

「留璃子ネエ!元気そうだな?」出迎えてくれたのは琥珀だった。
黒っぽいスーツはヒューゴ・ボスではないかと、私は当たりを付けた。
「琥珀!久しぶり、元気?」
ちなみに私が着ているグレーのパンツスーツは渋目のアルマーニ。痩せてしまいサイズが合わないのが欠点だった。
「ああ、俺は仕事さえしてなきゃ元気だ」
「あ〜嫌だ嫌だ」私は大げさに肩をすくめた。「こ〜んな医者にだけは掛かりたくない」
「俺もな、そんな地味〜な爪してる患者はいらねぇ」

琥珀の視線を受け、私はとっさに両手を背中に隠した。
ジュエルネールを施した長い爪には、ベージュ地にピンクの桜が描かれ、ところどころに真珠風のデコを散らしてあった。先週いつもの美容院"T&M"に髪のカットとトリートメントに行ったところ、衝動的にネイルをしてもらう気になったのだ。ついでにフットケアとペディキュアも頼んでしまった。

「な、何よ。四回忌なんだからネイルくらい良いでしょ?お葬式じゃないんだし. . . 」言い返したけれど、内心では口達者な琥珀に倍返しされるだろうと覚悟をした。
「ああ、良いんじゃねぇ?」あっさりと言うとリビングを振り返った。「おい、黒曜!黒曜!留璃子ネエ来たぞ!」

高い吹き抜けの玄関ロビーに声が響いた。見上げればステンドグラス張りになった高い天井窓から陽がそそぎ、吊るされた細長い華奢なデザインのシャンデリアがキラキラ輝いていた。
イタリア製の大理石を使った玄関ホールは、おそらく一般家庭のリビングくらいの広さがあるだろう。一流と呼ばれるインテリアデザイナーを抱える建築事務所が建てたこの家は外も内もモダンヨーロッパ調の素敵なデザインだった。だからだろう、私はテレビ番組の豪邸訪問なんてコーナーで見てもピンとこない。
翡翠の彫刻の上には、ミュシャが描いたサラ・ベルナールがシックに装丁された額の中から夢見る表情をみせていた。

リビングに入ると、私は床に転がっている百貨店の包装用紙とスーツ用のカバーを拾った。
「黒曜、久しぶり」二階から降りて来た黒曜に挨拶した「ゴミはゴミ箱にって小学生の頃、習わなかった?」黒曜はこの大きな家の住人だった。
濃紺のダークスーツを決めた黒曜が、チッと横を向く。着ているのはインポートのバーバリー?生意気!とは言え、背と肩幅があり手足の長い私達姉弟の体型は、日本工業規格から外れていた。とくに黒曜は胸幅もあり、ライセンスではなく欧米からの輸入品しか体に合わなかった。
「めちゃくちゃ元気そうだな?留璃子ネエ」
「お陰さまで」
そこに外から飛び込んで来た祐輔と金剛が加わり、広過ぎるリビングが賑わった。



ママの写真に向き合う。
久しぶりに姉弟が集まってはしゃいだ気分が、すうっと引いていった。

紫色の座布団に座ったお坊さんの低く淀みない読経が部屋に響く。ママの部屋の家具は取り除かれ、飾り棚があった場所にお仏壇は安置されている。ママの部屋は仏間なっていた。
お葬式の直後はリビングと続きの使っていない洋間に、位牌と遺影が安置されていたのに。

写真のママは随分若い。私達が大きくなって、あまりカメラに写らなくなったママ。遺影用の写真を探すのに苦労したんだ。ママ、ママの笑顔寂しそうだよ?

「瑠璃. . . 」隣から祐輔がそっとハンカチを差し出した。
「. . . あ?」私、泣いてたんだ。
近頃あまり涙を零さなくなったのに、いつの間にかポロポロと泣いていた。気づくともう止められず、次から次へと涙が溢れ祐輔の大きな白いハンカチはぐしゃぐしゃになる。

ママ。ママはこの部屋が好きだったの?この家に引っ越してから自分の部屋に引き蘢ってたね。. . . . . . . . . だけど、皆が居るリビングの方が寂しくなかったのにね。



「留璃子。あれ、あの土地だ。しばらくお前がもってろ」パパの第一声だった。
私達はダイニングテーブルを囲みくつろいで珈琲を飲んでいた。お経の時間ギリギリに駆け込んで来たパパとは、幸い会話していなかった。
「あれって?」
「ほら、地下鉄予定地の八百坪だ」パパはにんまりと笑う。「来週、査察が来やがる。今、移動するとまたイチャモン付けくさるからな。お前、しばらく持ってろ。ケチつけられなように出すもん出しとけよ」
. . . . . . ちゃんと固定資産税も納めとけってことね?まったくこの人は、その土地の所有権で実の娘を泥棒猫呼ばわりしといて、ママのお仏壇はほったらかし?


ママの部屋は仏間なのに埃さえ払われていなかった。お座布団も用意されていない。
仕方ないと、私は押し入れの天袋を開けたが、あったはずの座布団は見つからない。そこからが一騒動だった。

昨年第三子を授かった黒曜の奥さん、紗香さんは出産後からずっとこの家に帰って来ていないらしい。もちろん上の娘達、双子のマヤちゃんとマオちゃんを連れたままだ。黒曜も数年前に高倉不動産所有の家具付き賃貸を"社宅"として使っていた。"社宅"から、ほとんど戻らない. . . と琥珀から聞いていた。このむやみにでかい家は、上と下で完全二世帯の設計。二階の世帯主は黒曜。そして一階の世帯主はパパ。だから現在、パパは一人暮らしらしい。らしい、と言うのは. . . まあ、パパの女癖を考えれば. . . 。

主婦不在の家中の捜索は大事だった。私は座布団を探し、その間に琥珀と祐輔で部屋の掃除をしてもらった。なにしろ納戸だけでも6カ所あり、大型のウォークインクローゼットと天袋付きの押し入まであるのだ。その収納扉の向こうは恐ろしいくらいぐちゃぐちゃで、清潔なのは見える場所なのに気づき、唖然としてしまた。
黒曜と金剛には使いを頼んだ。仏花と果物は黒曜に、仏具屋には金剛を行かせた。ロウソクと線香、お布施袋、ついでに自分の数珠も買って来いと琥珀がお金を持たせてくれた。


「パパ」
祐輔を捕まえて新車の自慢話を始めたパパに、私はどうしても聞きたいことがあった。
「あ?なんだ留璃子?」
「どうして、ママの部屋を仏間にしたの?」
「ああ?そりゃ、自分の部屋だ。当たり前だろう」
「リビングの続き間が空いてるじゃない?」
「今頃、ピーピー言うな。煩せえ!」
私は溜め息を堪え、静かに話を続ける。「パパ。私は理由が聞きたいだけで、文句を言ってるんじゃないよ」
「ったく、留璃子は口煩せえな。だから女にはまともな事一つできないんだ。ったくよぉ!」パパは広々としたリビングを横切り、繊細なジャガード織りのクッションと優雅な曲線を描いた木製のソファーにドシンと腰を下ろした。
「こうやってなぁ、テレビ見るのに背中に仏壇なんてあってみろ!どれだけ辛気くさいか解るか?!」
「. . . 」
「あの仏壇いくらしたと思ってるんだ?仏壇屋の親父も言ってたぞ、こんな立派な仏壇に入れて幸せだって」
「パパ!」
「お前、墓だって見たろ?あの区画でも一番広い土地取ってやったんだぞ!みんなぁ、立派だ、幸せだって. . . . . . . . . 」

唇がわななき、カァっと上る血を私は意識した。感情が制御出来ない. . . 。

いつの間にか私の隣に居る琥珀がそっと肩に手を置いた。「留璃子ネエ、もう帰れ」囁いた。
「琥珀、でも. . . 」
「片付けは、俺と黒曜でやっとくから。留璃子ネエ達は先帰れ」琥珀は私のバックを手に取ると、祐輔に渡した。「祐輔君、コンのヤツ用事あるんだってさ。車乗せてってくれる?」
「え、あ?うん」
突然の流れに着いて行けない祐輔は、キョロキョロと私達を見比べる。
「祐輔君、行こうぜ」金剛は兄の目配せを受けサっと立ち上がると、さっと祐輔の腕を取った。
「またな、留璃子ネエ」琥珀はさっさと行けとばかり手を振る。
「じゃな、留璃子ネエ」黒曜も軽く手を上げた。
. . . . . . そうだね。
「うん、またね。お邪魔しました」私は立ち上がった。
「留璃子ぉ!お前どこ行くんだ!」パパの怒声が背中に痛い。
「予定あるんだ」変わりに金剛が答える。「悪いけど、先帰らしてもらう」
「メシくらい作っいかんかぁ!!このぉ馬鹿が親孝行する気もないのか!」
ちらりと振り返ると、パパは顔を真っ赤にして怒り狂っていた。残った長男と次男は、テーブルを囲み素知らぬ顔で珈琲を飲んでいた。


「留璃子ちゃん、大丈夫?」金剛の心配そうな声。
「あ、ヘーキ。ありがとうね、コン」祐輔の運転する車で少し家から離れ、私は少し落ち着いた。
「無視するしかねーよ。アイツのことはさ」
「うん」
「留璃子ちゃん、昔から正義感強いからな」金剛はハアと溜め息を吐いた。
「はぁ?正義感?」思っても見ない言葉に、私は驚いた。
信号待ちで停車した祐輔は後部座席の金剛を振り返った。
「あ、僕、わかるわかる!!瑠璃って弱いものイジメとか放っておけないタイプだよな〜」音楽に負けじと大きな声を出す。
「さすが祐輔君!ソレ愛?愛なの?愛のセイ?」返す金剛の声には笑いが含まれていた。
「もっちろんさ、コンちゃん!瑠璃と知り合ってもう六年。結婚して五年だよ。すっげぇ理解し合ってるから」自慢げに言い切った。
金剛は助手席に座る私の顔を見てニヤニヤと笑う。
. . . . . . . . . コンの奴、お姉様をからかうなんて百年早い!後で覚えてなさいよぉ。

「あそうだ、コンちゃん」信号が変わり車を発進させながら祐輔は言った。
「さっき言ってた予定って何?どこ行けば良いの?」









シーン5-10 "スケアリモンスタ"  

金剛が大検を取得した。
今は高卒認定と言うらしい。進学校をドロップアウトした金剛はパチンコ屋で働いているため、夜学や、日曜に授業の行われる通信制高校に通えなかった。だから参考書を買い、仕事の合間に勉強したのだと言う。

先日のママの四回忌でかなり気持ちの落ち込んだ私に、それは喜びを与えてくれる知らせだった。嬉しくて嬉しくて、恥ずかしがる金剛を無理矢理引っぱりママのお墓まで報告しに行った。金剛の兄達は相変わらず忙しく予定が立たないので、私と祐輔でお祝いをする約束をした。
当の本人は『チェ、留璃子ちゃん、大げさ』なんて照れくさそうにぼやいたけれど。

思い出せば金剛も、長男の琥珀と並ぶくらい頭の良い子だった。幼い頃の神童も二十になれば只の人になると言われるけれど、姉のひいき目にみても今だって金剛は聡い子だ。
教えてもいない余りのある割り算を頭の中でパパっと計算したのが五歳の時だった。面白がった琥珀はテレビゲームをやらせる感覚で、幼い弟に中学高校の教科書を与えた。まだ小学校四年生の金剛に関数を教え、微積分を教えたのは六年生。化学、物理など、私が苦手とする分野も、琥珀と金剛にとっては遊び感覚なのだ。
私は嬉しかった。とても嬉しかった。ここ数週間の寝不足を補って余りある喜びだった。たとえ親馬鹿な姉と言われようと。




「留璃子ネエ、査察くるから二週間位、会社出ろよ」
珍しく黒曜から電話があったと思ったら、スゴ〜ク嫌な知らせだった。国税局の査察、つまりマルサの方達と"高倉不動産の取締役社長として会え"と、この弟は言って来たのだ。
「はぁ〜、 黒曜、お姉様お元気ですか?とか、相変わらずお美しいんでしょうね?とか言えないの?」
「そんだけ口が回るなら元気だろ?あんまり祐輔君を虐めるなよ?」黒曜独特の皮肉のまじらない平坦な口調。
「あ、ばか黒曜!その言い方、人聞き悪ぅ〜!」
少し話し合い、私は10時重役出勤で午後は適当に理由をつけ会社を出ると決めた。細かい対応は税理士の先生と経理の人間に任せれば良いと言われた。




派手にならない化粧をしながら、買ったばかりのドルチェ&ガッバーナのスーツを着る機会が出来たんだなと考える。現金なもので、前夜はあれほど重かった気分がちょっと軽くなった。
鏡の前で、極端にタイトでローライズなパンツと、構築的にカットされたジャケットの黒スーツにを着て見る。筋肉質だった太ももが痩せ、すっきりと着こなせてる自分に満足した。
インナーにはシルクの白Tをコーディネートし、ドレスダウンさせる。腕時計はホワイトゴールドのロレックスに、9センチヒールのフェラガモのパンプスを合わせ、アクセサリーはダイヤのピアスと結婚指輪だけにした。
いつも持ち歩くiPodをテーブルに置くと、替わりにiBookを手に取った。高倉不動産の事務所のデスクに座り、ただ手持ち無沙汰に査察の様子を眺めているのは退屈だろう。車で行くのだからちょっとくらい荷物が増えても平気だ。DTPの最新情報が掲載されている雑誌と、iBookを事務所に持ち込む事に決めた。パソバッグを持っていないので、ビジネス用に買った45センチのバーキンにどさどさと荷物を詰めた。. . . . . . 軽いオーストリッチ素材とは言え運動不足の腕には恐ろしく重かった。

ちょっとドキドキしながら地下駐車場に降りる。慣れた近所の道を廻ったのは先月のことで、本格的に運転するのは久しぶりだった。高倉不動産までは比較的走りやすい道ばかりだし、そろそろ朝のラッシュも終わりつつある。大丈夫。


「あれ?. . . 車、無い?」私は固まった。
正確に言えば車はあった。しかし私の赤いアウディが、黒のベンツに変わっていたのだ。
. . . まさか?
五つの輪のシンボルロゴだと思い込んで手に持した鍵は、メルセデスのマークがついていた。
「あのぉ!黒曜め!!」
新車を買った黒曜が、自分の乗っていたベンツを私の車と交換したに違いない。珍しく長電話するわけだ。よっぽど機嫌が良かったのだろう。
「黙って替えるのだけは、辞めてよ. . . 」怒りが脱力へと変わる。
運転席に乗り込んでみたものの、さて運転できるのかと悩んだ。




高倉不動産に着いてから得意だった車庫入れに手こずり、早めに家を出たのにもかかわらず事務所に入ったのは10時5分前だった。

「お早うございます」私は頭を下げた。
「お久しぶりです。留璃子さん」木村専務が席を立ち迎えてくれた。
「「お早うございます!!」」5〜6人の従業員が挨拶をしてくれた。皆、昔からの人ばかりで顔見知りだった。
私が顔を見せなかったここ三年に雇われた若い人を二人紹介され、一応確保されている社長デスクに向った。

出された珈琲を飲みながら、専務の木村さんから大まかな数字の説明を受けた。高倉不動産が一階に入るこの自社ビルや、グループ会社のテナント関係など、ほとんどが税金対策であり、私にはその複雑なやり取りが理解し難たかった。

「留璃子さん、お元気そうで」話が一段落着くと木村専務は言った。
目元をくしゃくしゃにして人の良い笑顔を見せる。パパの友人である彼とは、私が子供の頃から付き合いだ。私が名前だけの取締役に就任するまでは留璃子ちゃんと呼んでくれていた。私は木村の叔父さんと呼んでいた。
「木村さんには、母の葬式で大変お世話になりました」私は頭を下げた。もう三年にもなるのに、会う機会が無くお礼を言っていなかった。
「いや、私など何も出来ませんで。それより留璃子さん、無理せずに居て下さい」
「はい、ありがとうございます」


それからの数週間は、私にはキツい日々だった。まだ、気分の安定しない日や時があり、さぼりながら家事をする専業主婦が、いきなり取締役社長のフリをしなければいけないのだ。
従業員10人以下で売り上げも一億に満たない会社なので、査察など本来は数日で終わっても良さそうなものだ。しかし、黒曜が社長を務める本体の高倉建設はそれなりの規模があり、多くの問題を指摘されていた。結果、親族経営のグループ会社、高倉不動産、高倉地所、高倉流通への追求も厳しくなった。鋭い指摘を受ければ税理士が答えてくれるけれど、国税局の人間に本社とこちらに分かれてやって来られると困った。税理士の居ない隙にやり込められないように、いっそのこと倒れてやろうかと思ったくらいだ。
ワタシはバカでビョウジャクです イジメナイデください。

. . . 琥珀と黒曜には仕事があるのに、査察をどうしてるんだろ?
まだ私がデザインの仕事をしていた五年前は、たしか休暇を二日と半休を四日も取らされた記憶がある。パパに給料なんていらないから社長職から下ろしてくれと訴えたら、十八番の親不孝とののしられた。



「もう、帰って。後は私がやるので」
突然背後から声を掛けられ、私はびっくりした。
「え. . . っと」誰だっけ?
私は派手な化粧をした五十からみの女性を見上げた。染めた髪にはメッシュまで入り、ラメの入ったスーツはビジネスより水商売に向いている。やけに目立つアクセサリーをしているなとぼんやり見ていると、彼女は更に言った。
「後は私に任すと会長も言ってました」
「そうですか」
今回の査察に関しては会長であるパパではなく、黒曜が全責任を負って対応していると聞いている。それに一応ここの社長は私だ。顔も覚えていない従業員に指示されるいわれは無かった。

どうせ座っているだけならと思いここ数日、会社のHPに手を入れ、高倉グループ各社のリンクを貼りSEO対策をしていた。今は持ち込んでいたiBookで新しいバナーを作り、ちょうどアップするところだった。ここで作業を中断するのは都合が良くない。
「では、この作業のキリが着いたら帰らさせてもらいます」私は告げた。
「もう、良いって言ってるのに!」女性は固い口調で言った。
「はぁ?」
「まあ、勝手にすれば」
捨て台詞を言葉を残し、女性はカツカツと私の元を離れた。事務所の扉をバタンと音を立てて開けると、閉めもせず出て行った。

. . . なんかケンカ腰じゃない?

「みっちゃん。あの人、誰?」
近くで私達の様子を見ていた経理の美智恵さんに聞く。
「え、留璃子ちゃん知らないのあの人は蒲生さんだよ」みっちゃんは教えてくれた。彼女と私は同い年で普段からくだけた付き合いだ。
「蒲生さん?前から居たっけ?」
「うんん。前は建設に居た」
建設は高倉建設、つまり二番の弟黒曜が社長を勤めるグループ本社のことだ。
「ふ〜ん。なんで不動産に回されたの?」移動なら左遷だ。そのワリには態度がデカ過ぎない?
「それは、黒曜社長が、あの人を. . . 」
「みっちゃん!電話出て!」木村専務が割り込む。
「あ、はい!」みっちゃんは慌てて受話器を取る。「ありがとうございます!高倉不動産でございます!」
木村専務はスタスタとその場を去ってしまった。私は解せぬ思いで彼の後ろ姿を眺めた。みっちゃんの口ぶりだと黒曜がからんでいるいみたい。けれど黒曜は滅多なことで他人に怒をぶつけたり、人を遠ざけたりしない。
. . . それに、いつもなら木村さんが色々な情報をくれるのに?



本社から移動してきた蒲生と名乗る女性に再び声を掛けられたのは、査察の最終日だった。
見込みを大幅に上回り四週間もマルサに張り付かれ、私はへとへとになっていた。社員の皆さんにお疲れさまと挨拶を交わし、さあ帰ろうと車に乗り込む私を彼女は駐車場で呼び止めた。

「私は会長のお世話をしている蒲生よ」前置き無しに言った。
「. . . そうですか」私はもちろん名乗らない。

蒲生と名乗る女性は腕を組みながら睨んでいた。私の出方を見極めようとしているようだ。元は美人だったのかもしれなが、濃すぎる化粧とへの字に結んだ唇が、意地の悪そうな雰囲気を発散させていた。デォールのスーツが台無しだ。しかもこのファンシーな色使いはミス・デォール。無理過ぎる。

「お疲れさまでした」私は相手にしない事に決めた。長年の経験だ。彼女にクルリと背を向けると、車のロックを外した。
とl、突然腕を強く掴まれ、私は驚いて振り返った。壮年に手の届く女性は、スゴい形相でこちらを睨みつけていた。
「待ちなさいよ!逃げるの!」
「. . . 帰るだけです。手、離して」私は深呼吸してから答えた。
「あんた達は兄弟揃って私を馬鹿にしてるの?私はね、あんた達の父親と十年も付き合ってるの!それを息子のクセしてこんなショボイ事務所に飛ばして。娘まで今更、社長面してノコノコ出て来るなんて!」女性は一気に捲し立てると、最後は吐き捨てるように言った。
「人事に不満があるのなら、高倉社長に直接言えば?」家業を唯一継いでくれた、二番目の弟の名を出した。
「あのね、私はあんたの父親の面倒を見てるっていったでしょ!!あんた達の母親はもうとっくに死ん. . . 」
私はピシっと彼女の鼻先を指差し、彼女の言葉を遮った。自然と声が低くなる。我慢の限度だ。
「喧嘩売ってるつもりなら、私はいつでも買うけど?」




「ははは!留璃子ちゃん復活だぁ〜」
折よく電話をかけて来た金剛に、昼ご飯を奢ると呼び出したものの目の前で大笑いされた。
「何よ、それ?」九つも年下の弟の態度に、私は少なからずヘソを曲げた。

パパの愛人に対して、喧嘩を買うと大見得を切ったものの、自分の中で消化しきれないモヤモヤに心は爆発しそうだった。帰宅後、大切なはずの伴侶、自分の夫である祐輔にいらだちをぶつけてしまった。. . . 八つ当だった。最悪だ。いくら温厚な祐輔でも、自分には与り知らぬ怒りを止めどなくぶつけられ、困惑し、戸惑い、最後には、いいい加減にしてくれと怒りを見せた。
. . . . . . 祐輔が怒ってくれたのは良い。当然だ。祐輔を傷つけた自分が、私だって大嫌いだもの。

「祐輔君、可愛そ〜」
私のオーダーしたハンバーグまでもりもり食べている金剛は、なぜ太らないのだろう?第一、ご馳走=ハンバーグって発想が子供過ぎる。そんな子に育てた覚えは無いつもりだけど. . . . . . ?
「うん. . . 祐輔、可愛そうだよね. . . コンの言う通りだよ」私は目の前のストロベリーのフランベをつつきながら答えた。最近、食欲が少し戻ってきた。甘いもの限定で。
「ありゃ、留璃子ちゃんマジにとるんじゃねぇ〜よ!」お気楽に笑っていた金剛はちょっと慌てた。
先日の国税局の査察では、本職を持つ金剛と琥珀も休暇や半休をやりくりし苦労したようだった。
「実際、八つ当たりだもん。祐輔にしたらスゴイ迷惑だよ」私は苺の酸っぱさに顔をしかめる。
「留璃子ちゃんが元気になったって、祐輔君も喜んでるよ」
「. . . はぁ?」
「祐輔君って滅多に怒らないじゃん?」
「うん」
その祐輔を私は怒らせてしまった。
けれど祐輔はいつもみたいに私を抱きかかえて眠った。. . . ばかな私は朝起きて、自分から仕掛けた諍いをまだ引きずっていた。
. . . . . . 見送る妻がムスっとしてるなんて最低だろうな。

「あの祐輔君を怒らせるなんて留璃子ちゃんにしかできねーよ!スゴクね?」
「は?!」
「いやぁ、そこまでしつこく虐められる根性は留璃子ちゃんだ!留璃子ちゃんふっかぁつ!!」
「. . . コン」
「何?」
「ば〜か」
「俺っちバカだぞ」へへへと笑う。
私は伸びすぎた金剛の頭にクシャクシャと手を伸ばした。脱色した金色と黒のトーンがバラバラと指に絡まった。鴨のバルサミコソースや、ラムの香草焼きが絶品の隠れ家的有名店で、美味しい美味しいとハンバーグを食べる末の弟を愛しく思う。祐輔もいつだってハンバークだ。
「コンもさ、そろそろ美容院行きなさい」

子供扱いするなと金剛はプイと横を向く。その瞳は笑っていた。







シーン5 "スケアリモンスタ"後書


 のタイトルは、デヴィット・ボウイ氏の"スケアリー・モンスターズ"を念頭に、なんとな〜く決めてしまったものです。誤解の無いように申しますが、語感のイメージ、ゴロだけでピンときたものです。ボウイ氏の素晴らしいアート作品とはまったく関係はありません。

さて、わたくしが小説で書きたかった主人公の心に潜む"お化け"は表現しきれたのか?筆力の問題が常に自分を悩ませます。
主人公、本人も自覚しない幼い頃から刷り込まれた恐怖、親が望むこうあらねばとの理想の自分、大人にとり都合の良い子供。そこには、個性はもちろん、幼いわがままはおろか、ちょっとした甘えも許さない非情な大人の価値観しか存在しません。

『親に殺されそうになった』とか『憎しみの末に叩きのめされてしまった』などとドラマッチックな展開を主人公は持っていません。しかし、純粋であるが故に母を、家族を助け、暖かい家庭を欲する幼い心は傷ついて行くのです。足掻いた後、打ちのめされた心は、真っ直ぐ生きようとする彼女を暗闇に引きずり込みます。そしてもって生まれた深い情と強い意思は抵抗し、却って彼女を苦しめようとするのかもしれません。

愛を知らず生きた両親は、幼い娘に何を求めたのでしょうか?自らも愛を求め止まない留璃子は、結婚してようやくおしみのない愛情を伴侶である祐輔から貰いました。ささやかな家庭生活の幸福を、留璃子は真っ直ぐ受け止められるのでしょうか?
次章、グラスオブハウスでは、留璃子を含めた姉弟の過去を少しづつ表現できればと思っています。

余談ですけれど、留璃子の弟である琥珀と金剛、二人の秀才児には実在のモデルが存在します。(文章にすると、なんて嘘くさくかんじるのでしょう、はは)日本もそろそろ課目のみでもスキップを認める次期ではないでしょうか?算数の得意な小学生は授業を進めてもらうかわりに、先生の手品を見せられる学校もあるのです。柔軟な知能、才能の可能性、素晴らしい数学者が生まれる未来を、無理に足止めする必要があるのでしょうか?皆様のご意見や体験がございましたら、お知らせ下されば幸いです!!

このような拙い文を読んで下さる皆様、本当にありがとうございます!拍手やコメントを下さる皆様、感謝に堪えません!!また、メールを下さった方に改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました!!!これからも、よろしくお願いいたします!!!









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拍手頂けたらもの凄く嬉しいです!コメント頂けたら踊りだします!!!

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Author:kyorori
登場人物、治療内容、医療機関は全くのフィクションです。病院やお薬について、仮にも参考にできたらな?と訪れて下さった方には申し訳ありません。ゴメンナサイ。

葛藤や苦しみは限りなく本物で、この小説を自己発散の場として使っています。実話より小説の方がより表現しやすいと考えての行動で、もし少しでも理解して頂けたら幸いです。

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