シーン1-7 "ブラッドバス"
*警告*このブログには自殺、流血、薬物、飲酒、精神病治療のシーンが含まれます。自己の責任で対処できる方、小説と現実の区別がつく方のみ閲覧して下さい。
「ピンポ〜ン!ピンポ〜ン!」
部屋中に響くチャイムの音に私は体中を緊張させた。
止める隙も無く祐輔がインターホンの受話器を取ってしまう。「あ、コンちゃん!開けるから上がって上がって」モニター超しに姿を確認した祐輔が嬉しそうな声を出した。
突然の来客は末弟の金剛(こんごう)だった。
チャイムの主が誰よりも気の置けない弟だと知り、体中の緊張が解ける。ほうっと溜め息が出た。
「チャオッス!俺はカレー食べたいゾ。留璃子ちゃんの台所貸せよ!」金剛は玄関に入るなり、前置きなしに宣言した。「コイツだ。死ぬ気で食うゾ!」
「あ、サンマルコのカレー!」祐輔の嬉しそうな声。
持参したカレーの包みを祐輔に渡すと、金剛はソファーに横たわる私の前でおどけてみせた。
「留璃子ちゃん、チャオッス!」
「コン、元気?」
あったりまえー。答えながらスタスタと我が家のキッチンに向かう。祐輔も後に続いた。
「俺さぁ、今さぁ、住み込みなんだ。パチンコ屋」金剛はガサガサとレジ袋からサラダの材料を取り出しながら口を動かし続けた。「良い匂いなんてさせてたら、先輩にたかられちゃうワケ。ヒドクね?ヒドクね?」
「ヒデ。それヒデェ」眼を丸くし、祐輔は真剣に相づちを打つ。
私はリビングのソファーから二人のやり取りをぼんやりと眺めていた。
「赤いピーマンとっ〜ぉ、黄色いピーマンだぁ〜ぁ〜ぁ」金剛のでたらめな歌声に、祐輔が突っ込みを入れる。「コンちゃんそれ、パプリカ」「ちげーよ。俺日本人だゾ」「え?ピーマンって日本語?」「うそっぴょ〜ん!」
カハハと笑われ、祐輔が薄切りキュウリを投げつけた。
「ね、祐輔君さ、麦茶とウーロン茶とどっちが良い?」「麦茶。カレーには冷たい麦茶しょ?」
金剛の開けっぴろげな笑顔に、沈み気味だった祐輔も明るく笑う。
比較的年の近い二人は直ぐに仲が良くなった。お坊ちゃま育ちの祐輔は3才年下だが世間を広く知っている義弟の話をいつも興味更かそうに聞いていた。
『自分の兄弟と話すよりコンちゃんと話す方が盛り上がる』そうだ。
二人でじゃれあう姿は、血統書付きのゴールデンレトリバーと野犬になったプードルのようだと思った。『俺ノラなワケ?留璃子ちゃん、実の弟に向かってヒドクね?ヒドクね?』金剛の抗議に、爆笑したのを思い出す。
祐輔の大きな背中に眼をやると楽しかった出来事は直ぐに去り、何かが胸を突き刺した。祐輔、祐輔、可愛そうな祐輔。. . . . . . こんな奥さんを貰ったばかりに。
最近では、さすがの祐輔も私の状態を持て余していた。. . . いや、私の存在自体を持て余していたのか?
三ヶ月前、私がうつ病だと診断された時も、彼は平然としていた。元気を無くした原因が病気であったと解り、かえってホっとしていたくらいだ。
. . . だけど、診察を受けても一向に”病気”は治らなかった。気力は戻らず、吐き気でさらに食欲も落ちた。
投薬開始直後は一週間眠り続けた「傾眠」だそうだ。、、幸せな眠りの時を過ぎるとまた眠れなくなった。眠剤(睡眠薬)を飲むようになった。量はどんどん増え続けた。今では限度の処方量を飲んでも安眠は得られない。
昔なら気分転換になった旅行にも行きたがらず、外食さえ嫌がった。外出せず、借りて来たDVDや音楽にも興味を示さない。訳も無く不安でポロポロと涙を零した
リビングのソファでぐったりしていたかと思えば、じっとしていられずフラフラと家中を歩き回る。
私の体はアザだらけ。そこに、抜糸が済んだ傷跡も加わった。
ママの介護と会社との往復で日に焼けることのなかった生活は、もともと色白の肌を不健康なくらい生白くした。初めて意図してつけたその傷は醜く赤く盛り上がり、その両側にポツンポツンと小さな丸が並んでいた。
「留璃子ちゃん!」
呼ばれてハっとする。
目の前で金剛がニコニコ笑っていた。「食わねーの?オイスィ〜のにぃ?」おどけて私の皿からカレーをすくいパクリと口に入れた。
意識が食卓に戻るのにちょっと時間がかかった。
「. . . あ?、馬鹿コン、」私はお約束で拳を振り上げたみせた。
金剛は大げさに嘆く振り。「ヒドクねー?ゲンコ!ゲンコだよぉ、祐輔君!」「あれ?コンちゃん”馬鹿”の方はスルー?」祐輔は笑いながら指摘した。「おっ?あ?祐輔君まで!ヒドクねー?!」
私には三人の弟が居る。
今年25才になった金剛は高倉家の三男で末っ子だ。
ブリーチし過ぎてパサパサになった金髪。安物のチョーカーに、破れたジーンズ、着古したTシャツ。体格の良い高倉兄弟の中では一人だけ小柄で、柔らかい性質。名前の由来となった金剛石=ダイヤモンドの硬質さとはほど遠い。小作りな顔は私とともに母親似だけれど、女の私よりこの弟の方がずっと美人顔だった。
有名進学高校をドロップアウトし、二度の離婚、三人の子供の父親。それぞれの離婚以来、子供達とは合っていない。月々の養育費を振り込んでいることは私しか知らない。
ここ数年住所不定で、女性と別れる度に実家に戻っていた。が、ママの死後、いやママが発病して闘病生活が始まって以来は一度も実家には戻っていないらしい。
それでも我が家には時々顔を出し、カラオケに行ったり、泊まり込みで祐輔とゲームしていった。
そう言えばこの子、私がうつ病と診断されてからは泊まらなくなった?
「あのさ. . . 」話を切り出そうとし、私は喉がつかえた。涙が滲む。「こほ、 あ、ゴメ. . . 」
「瑠璃、大丈夫?味、辛かった?」祐輔は不器用な手付きで私の背中をさすってくれる。
「平気、美味しい」
無理矢理飲み込むカレーは味など解らない。胃のムカつきも酷くなってきた。
「アレだ、幾つになっても新婚さん的な?へへへ」二人の様子をニヤニヤ見ていた金剛が茶化す。「うん、俺たちずっと仲良いんだよ。ね、瑠璃?」平然と返す祐輔に、金剛が大げさな手振りをつけ首を振った。「のろけネタ振っちゃったしぃ」
私は思い切って口を挟んだ。
「あのさ、私、、入院したら良いか. . . 」
全部まで言えなかった。
まだ笑いあっていた祐輔と金剛が突然動きを止めたのだ。
「留璃子ちゃん!なんで入院なんて言うの」真っ先に金剛が口を開く。
. . . . . . . . . なぜ?なぜって
「び、、病気だから. . . ?」「だけどさ、入院すれば治るの?」「. . . え?」
琥珀の問いに私は答えれなかった。
椅子に座った祐輔がこちらに向き直った。
「瑠璃、この家から離れて一人になっちゃうんだよ?入院するってことは」「そうだよ。留璃子ちゃんさ、祐輔君と離れて平気なワケ?」金剛は相づちを打った。「ほんとに、ほんと、平気なの?一人になるんだよ?一人ぽっちなんだよ」
祐輔に念を押され、返事が出来なかった。
「瑠璃子ちゃん寂しいでしょ?無理だよ、ねぇ祐輔君?」「そうだよ、瑠璃には無理だよ」
四つの瞳が、心配そうに私を見つめていた。
寂しい?うん、寂しい。
家を離れる?やだ、離れたくない。
入院したい?したくない。
精神病院に入る?嫌だ。
精神病院なんて嫌だ。寂しい思いも嫌。家を出るのなんて嫌。
絶対嫌だ。嫌に決まってる。
あれ?何が?
何の話だっけ?、、最近はいつもこうだ。
医師はうつ病の症状の一つだと言う。けれど私の頭はどんどん悪くなっていくみたい。
脳細胞が、少しずつ死んでいっているのかも?
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