シーン4-4 "ホテルカリフォニア"
*警告*このブログには自殺、流血、薬物、飲酒、精神病治療のシーンが含まれます。自己の責任で対処できる方、小説と現実の区別がつく方のみ閲覧して下さい。
朝食は八時から。起床時間は決められていない。
十時に消灯。ベッドを離れるのは自由。
お手洗いに起きた深夜、ガラス張りの喫煙室で煙草を吸っている人を見掛けた。
病棟の扉は一つしか無いけれど鍵は掛かっていない。施錠は夜間のみだ。
敷地内はむろん外出自由で、敷地外の外出もメモ書き一つで自由だ。
面会時間は朝食後から夜の9時までいつでも自由。
洗濯の干場は屋上にあり、ココももちろん自由に出入り出来た。
『この辺は川もあってフラつくと危ないですから。ご主人、迎えに来て下さいますか?そうですか、ではご主人と車でこの辺りの景色を楽しんでくださいね』外来での院長の言葉。つまり”一人で敷地外へ出るな”と言う意味だ。思い出せば苦々しい気持ちになった。
前科。
自然に言葉が浮かぶ。”自殺企画”と表現されるらしい。そう、二度の前科持ちゆえんに、この解放病棟でさえ外出制限されたのだ。私のためらしい。
私の. . . . . . . . . 。
この個室の設備は洗面台のみだった。バストイレ付きの特別室は当面空きができないそうだ。不満だったけれど仕方ない。
今時、週に3度しか風呂に入れない病院もあるらしいが、タヤマ病院では毎日入浴できた。当たり前のことだけれど、当たり前でない所も多いらしい。
午前と午後で男女を入れ替える大きな浴室は、一流旅館並みの清潔さだった。簀の子の敷かれた更衣室から風呂場に入ると、パァと眩しい午後の日差しが大きな磨りガラスから差し込んでいた。
6~7は入れそうなステンレスの浴槽、真っ白な目地のタイル、シャワーや桶も掃除が行き届いていた。
黒っぽい水垢の存在を無意識の内に探していた。見つからずホっとする。
しかし、私は大勢の利用する湯船に浸かるのには抵抗を感じた。
怠い体にサっとシャワーを浴び、私は浴室を後にした。
部屋に戻る途中、食事を同席しているおばあさんが看護婦さんと共に風呂に向かうのに行き会った。小さな歩幅の頼りない足元。
私とはロビーを挟み反対側の個室にいるらしい。風呂の介護を必要とするあの年で、うつ病と診断され一人個室で入院生活を送る気持ちを考えると、やりきれない気分になった。
明るいロビーには一人がけのリラックスチェアーがポツリポツリと配置されている。
食事中は丸テーブルと椅子が持ち出されちょっとしたカフェの雰囲気になった。
医師である弟の琥珀の言う通り、ここタヤマ病院は療養型の入院施設らしい雰囲気が漂っている。穏やかで優しい人々。静かで落ち着いた空間。
何故、私の心はざわざわと波だっているの?
「リラックスして下さいね」優しい声で言われ、返事をする声が震えた。
私は薄暗く静かな部屋で横になっていた。
『第三検査室』で待っていた検査技師は、患者を落ち着かせる優し気な風貌をした中年男性だった。
「椙山さんごめんなさいね。気持ち悪いですよね?」彼は言いながら冷やりとしたジェルを私の頭に塗り、さらに丸い何かを着けていった。「全然痛くありませんからね。安心して下さいね」
「は、い. . . 」尾張大学附属病院でもこの検査の経験はある。怖いのではない。
否、怖いのだ。
自分が生きて呼吸していること、この場所に存在していること自体が苦痛で恐ろしい。
「ではリラックスできる音楽を掛けますね。何も考えずにのんびり横になっていて下さい」
「. . . はい」
「椙山さん、空調、寒くはないですか?毛布掛けますか?」
「いいえ. . . 寒く、ないです」
早く、早く、終わってほしい。この場を離れたい。
労りの滲む優しい声に送られ第三検査室を出る。私は疲労でぐったりしていた。ただ横になっていただけだと言うのに情けない。一階から病棟のある三階までの距離さえ、エレベーターを使うしか無さそうだ。
私はふと時間に気づいた。12時を過ぎている?祐輔に電話できる時間だ。
祐輔、オープンと共に食堂に駆け込み10分で食事を済ませてしまうさと、いつも自慢していたっけ?
病棟での昼食はもう始まっているだろう。髪も先程のジェルでグチャグチャだ。
だけど昼食を終えた後、再び一階まで降りる。目の前に見える重い扉を開ける。そして建物の外に出る。. . . 出来そうも無い。
「もしもし瑠璃!」携帯の向こうから祐輔の弾んだ声。「瑠璃、写メ見てくれた?ウケた?ウケた?」
「うん、ウケた」私は答えた。
昨夜、個室を幸いとこっそり携帯の電源を入れたところ、受信メールの多さに驚いた。返信する苦痛から逃れるため、パソと携帯のメルアドを変えていたのに。新しいアドレスは兄弟以外誰にも知らせてはいない。
『10件のメールを受信しました』
あり得ない数に、スパムを送られたと思った。
『発:祐輔 瑠璃ゆっくり休んでね 大好きだよ 』『発:祐輔 会議抜けた 今瑠璃から電話くればいいのにな 後3分粘ろ』『発:祐輔 愛してるよ瑠璃 会いに行くからね寂しくないよ』『発:祐輔 ゴメンネ!今日残業 瑠璃に会いに行けない』『発:祐輔 瑠璃. . . . . . 』
そして最後のメールは写メールだった。自分で撮ったアングル。ご飯粒を顔中に付け、大きなオニギリを口一杯頬張っている姿は祐輔らしいかった。
メールタイトル『バクダンにぎり』
私は体中の力が抜ける思いをした。以前なら大笑いしただろう。
そっと液晶の表面を撫でた。
祐輔。祐輔。祐輔。今は何故だか涙がこぼれる。発信は日付が変わり午前1時15分。
「へっへぇ!瑠璃のためだったら、僕の顔くらい毎日送るよ」祐輔は得意そうに笑った。
『癒し系だよね、祐輔の顔』昔、私の言った台詞を覚えていたのだろう。
「ありがとう祐輔、、」胸が痛い。
罪悪感は私の心臓を握り潰そうとしている。苦しい。痛い。
「すっぎやぁまぁさぁ〜ん!!!」
突然自分の名を呼ばれハっと顔を上げる。
周囲には誰も居なかった筈?
「瑠璃?」突然途切れた会話に、祐輔が心配する。
「あ、何でない」
「でね、今日も残業。ごめん瑠璃。瑠璃さ、僕、行けないと寂しいよね?夜眠れ. . . 」
「す・ぎ・や・ま・さぁぁぁぁぁぁあん!!!!」
再び呼ばれ、少し離れた場所で手を振っている人陰を見つけた。
あの人、誰だっけ?
思いながらも片手を上げ、軽く手を振り返した。
「椙山さ〜ん!こっち来ない?!」売店脇のベンチに座った人物は大きくて招きをした。
「瑠璃?なんか騒がしくない?」静寂を破るその声色はデジタル処理されてもなお、祐輔の耳元まで伝わったらしい。「騒いでる人いる?大丈夫なの瑠璃?瑠璃、逃げなよ」
「あ、大丈夫。誘ってくれてるみたい」
私は通話中だと知らせる為に立ち上がり、耳に当てた携帯を大げさなジェスチャーで指差した。
「瑠璃、もう友達出来たんだ!良かったね瑠璃」祐輔はお人好しらしい喜び方をした。
大声の主は両腕で大きな丸を作っていた。了解したらしい。
私は軽く頭を下げ。壁にもたれるようにしてさり気なく横を向き視線を逸らせた。
「. . . うん。. . . . . . それより祐輔、仕事忙しいんでしょ?寝不足で高速を運転なんて危ないよ。こっちへは無理して来ないで、早く帰れる日は睡眠時間取ってね」
「運転くらいヘーキヘーキ!三河の人間を舐めるなよ!」カラカラと笑う。「瑠璃の顔見たら疲れなんてフっ飛んじゃう」
看護婦さんは皆にこやかで、検査の為に歩いた廊下ですれ違った医師や技師、事務方の人まで皆笑顔で挨拶をしてくれた。
部屋を訪れる看護婦さんは、かならず呼び出しコールで予告してから来てくれる。ズカズカとこの狭いテリトリーを侵される心配は皆無だった。
なのに何故こんなに鼓動は早いのだろう?
冷や汗が背を伝う。手足は冷たい。
適度に空調の効いた室温は快適なはず。
ブラインドから見える星は美しかった。真っ暗な夜空で冷え冷えとした光を放つ。街中では見られない光景。
星は、夜が白むまで見つめていた私の体をも凍り付かせてしまった。
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