シーン3-2 "ザ・プリズン"
*警告*このブログには自殺、流血、薬物、飲酒、精神病治療のシーンが含まれます。自己の責任で対処できる方、小説と現実の区別がつく方のみ閲覧して下さい。
初診受付を終えてから名前呼ばれるまで2時間も待った。診察室ではない個室に案内されると若い白衣の男性が簡単な聞き取りを始めた。生い立ち、病歴、家族関係、仕事、治療の経過. . . 今まで何度も繰り返した内容だった。
「ではこのアンケートにチェックを入れて下さい」彼はかなり厚さのある書類を手渡した。「ハイからイイエまで五段階ありますが、なるべく中間の答えは避けて下さい」
ゆっくりで良いですからねと声を掛けられ廊下の長椅子に座った。長い廊下の両脇にいくつかの椅子が置かれていた。片側には診察室1、診察室2、診察室3、と小さな表示があり、反対側には大小の部屋があった。廊下の一番奥には小児精神科、親子外来、の看板が見えた。無機質な場所に描かれた動物や虹の絵がとても空々しいものに思えた。混雑する大病院でもここだけは閑散とした寂しい場所だった。
ぼんやりとアンケートに目をやる。
『過去にいじめに遇ったことはありますか?』1.全くありません
『過去にいじめをしたことはありますか?』1.全くありません
『過去に暴力を振るったことはありますか?』1.全くありません
『過去に非行に走ったことはありますか?』1.全くありません
『怠学や授業妨害をしたことはありますか?』1.全くありません
『学校で破壊行為を行ったことはありますか?』1.全くありません
『万引きや恐喝などをしたことはありますか?』1.全くありません
『過去に親から暴力を受けたことはありますか?』
手が止まる. . .. . .. . .
『過去に親から育児放棄を受けたことはありますか?』『あなたの家庭で両親間の諍いや喧嘩などありましたか?』『あなたの家庭で両親間の暴力行為はありましたか?』
目に蘇る朱。激しい物音、割れんばかりの怒声、泣き喚く声、、叫び声、悲鳴. . . . . . 『タスケテ、タスケテ、コロサレル』. . . 誰が?』. . . 誰を?
額の血が止まらず押さえた手の間から血が流れる。
白い割烹着を真っ赤染める。
床にへたり込み泣き叫びながらジリジリとこちらへ移動してくる。
けれど大きな手に髪を引きつかまれた弾みで横倒しになる。
畳にも鮮やかな朱が広がる。
『子供を盾に取りやがって!このクソアマがぁ!』『ああっ!止めて!留璃子!留璃子!ママを助けて!殺される、パパに殺される!』
けれど私は動かない。ママを助けなきゃって思っているのに体が震えて、おしっこが漏れそうで. . . 怖くて動けない。ママが殺されちゃう!パパに殺されちゃう. . . . . . . . . . . . 。
「瑠璃?」
祐輔に声を掛けられハッっとする。
「え?、あ?」
「疲れた?コーヒーでも買ってこようか?」彼は私の顔を覗き込んだ。
「. . . いい、いらない」手にしたボールペンを持ち直した。どうやら手が止まっていたらしい。「やっぱり. . . 買って来てくれる?」
「OK!ブラックで良いよね?」祐輔は椅子から立ち上がると大きな背を伸ばし自販機に向かった。
何、今の?まだ心臓の鼓動が早い。まるで過去に戻った、その場に居たみたいな感じ. . . 私の背中に隠れていた琥珀の小さな手の感覚まで未だ残っている。
子供の頃、私は長い髪をお下げにしてた。琥珀は私の髪を掴む癖があった。小学校に入るまでおとなしい子で、いつも私の後ろをくっつき歩いていた。ああ、じゃあ琥珀はまだ幼稚園児だ。
火のついたように泣いているのは黒曜. . . まだ幼い姿。デニムのカバーオールを着てお昼ね布団の上で足を投げ出し座っている。そして泣いてる。顔をグチャグチャにして声の限りに泣いている。
金剛はまだ産まれていない。黒曜は幼稚園に行っていない、、二才くらい?私と琥珀は同じ幼稚園に通っていた。じゃあ、私が五才、琥珀が四才かな?
そうだ、二人で幼稚園から帰って来たんだ。送迎バスを降りたのに迎えに出ていないママを探して、大急ぎで家に駆け込んだ。私たちの姿を見るとママは何か言った。何だったっけ?. . . 思い出せない。そしたらパパが怒鳴って、大きな灰皿を手に取り. . . . . . 。
完全に思い出した。ぼんやりとママが怪我をした記憶はあったがまさかパパに殴られたのが原因だったとは。どうしたらあんなこと、忘れるんだろ?
アンケートの設問数は非常に多かった。が、内容的には同じ質問が言葉を変え巧みに繰り返されているだけだった。丸を付ける手が細かく震え、回答を終えるのに時間がかかってしまった。
「椙山留璃子さん。診察一番にお入りください」控えめなマイク音に呼ばれ入った部屋には大きなテーブルを囲み7〜8の人間が座っていた。全員白衣で若い男性が多かった。
椅子を勧めてくれたは人物は佐竹と名乗り、この場のリーダーであるようだった。年の頃は40前に見えるが柔らかい物腰の中に他を圧する威厳を持っていた。シワ一つ無い白衣の襟裳元から見えるブルーとホワイトのチョークストライプのシャツと赤の小付き柄ネクタイは少々派手だけれどずいぶん趣味の良いものだ。
「椙山さん。わたくし、佐竹、と申します」医師は軽く頭を下げた。
「あ. . . よろしくお願いします」私は慌てて挨拶をした。. . . またぼんやりとしてしまった。
「椙山さんはお母様の看病をされたのですね?」「. . . はい」「そうですか、お辛かったでしょうね」私は黙って頷いた。「で、入院を希望されるとか?」
再び頷く。本当は希望なんてしていない。何も考えられない、考えたくないのが本音。
佐竹医師は私に向かい身を乗り出し、じっとこちらを見つめた。「では、約束してもらえますか?部屋を押さえますから、それまで自殺しないことを」
ヤクソク?
「約束できるなら入院して頂きます」
私はコクンと頷いた。どうせ今は何かを企てる気力もない。数日くらいの約束ならしても良いだろう。
佐竹医師は私の目をじっと覗き込む。私の真意を見透かそうとするように。「良いでしょう」納得したのか満足気に微笑んだ。
「ありがとうございます」隣で祐輔が頭を下げた。
「椙山さんは治ります」佐竹医師は言った。「椙山さんの生い立ちなどを拝見すると、真っ当に育ったなと思いますよ。真っすぐにキチンとした大人になれた。それも十分立派な大人に」
. . . . . . . . . こんな私が立派な大人?
私の訝しげな表情に気づいたのだろう、彼は言葉を足した。「この家庭環境なら人として折れてしまい社会に適応できずにいるケースがとても多いんですね。椙山さんは立派です」
この人は何か勘違いしている。私、答えを間違っちゃったのかな?そうだ、何か間違いを犯したに違いない。
『出来損ないの親不孝ものがぁ!!』パパの怒声が蘇り、私の頭の中を何度も何度も木霊した。
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