小説〜辿り着いたは精神病院?

資産家のお嬢様で良家の奥様。仕事良い夫、多くを持てる彼女は死の願望に取り憑かれていた。前を向き強く生きていた瞳はもう暗闇しか映さない。警告:小説と現実の区別がつかない人は絶対読まないで下さい。

シーン1 "ブラッドバス" 総集編

   文芸3131
 

*警告*このブログには自殺、流血、薬物、飲酒、精神病治療のシーンが含まれます自己の責任で対処できる方、小説と現実の区別がつく方のみ閲覧して下さい。








シーン1-1 "ブラッドバス"


暖かい。
ほわほわと岩盤浴でもしてるみたい。
ああ、気持ちいい。
さっきまでの緊張が嘘のよう。

. . . 緊張?
私は何を緊張していたんだっけ?うーん何かしてた?
一生懸命. . . . . .

「あ!しまった!!」
跳ね起きるとツルリと手が滑り再び床に転がる。
頭蓋骨に響く音。
頭を打ったみたい?けど、痛みは感じない。

左腕を持ちあげ目の前にかざしてみた。
「ああ、良かった. . . 」血液はまだ勢い良く流れ出していた。
ブランデーをがぶ飲みし、血行を良くしただけのことはある。
深く切り込んおいたとはいえ、所詮は静脈だ。いつ自然に止血してしまうか、その点が気がかりだった。

ごく健康体である私は貧血を経験したことさえない。34才にもなるのに素顔の頬はほんのりピンク。血色良く、おかげで年齢よりずっと若く見られた。
しかし、どんな健康で頑丈な人間でも血液の何十パーセントを失えば死んでしまう。確実に死んでしまうのだ。

床に広がった血溜まりの中で、私は安心感に浸っていた。これだけ流れ出れば上手く行くだろう。
もう得体のしれない恐怖も、
うるさく鳴り響く電話も、
眠れぬ夜を襲う孤独も. . . . . .
何もかも追っては来ない。
私だけの暗闇に逃げ出すのだ。
逃げ出せる。

ああ、良かった。

. . . あ、右手の血が止まっちゃってる?もう一刺しして血管を完全に断ち切って. . . . . . ホントは動脈切れたら良かったのになぁ。深くてどうしても届かないんだもの。
疲れた私は静脈を切ってみた。
思いのほか勢い良く血が噴き出してきた。


「けど、上手く行った. . . 」
呟くと、安心して再び力が抜ける。

ああ、眠い. . . . . . 眠い. . .








シーン1-2 "ブラッドバス"


誰かが私を揺する。

なぜ?うるさいなぁ. . . ふと目を開けるとギョロ目のおじさんが私を覗き込んでいた。誰?誰?
どこ?
寒い、寒い。

ギョロ目さんが何かしゃべっている。
うるさいなホント誰?
眠いし、知らない人間が何の用?
まったく空気読めよなぁ、こんなに眠い. . . . . . 。

私はいつの間にか目をつぶっていた。



ガタンと衝撃で目が覚めるた。

やたら眩しい。
寒い。
すごく寒い。寒い。寒い寒い寒い寒い。
「. . . . . . 」
知らない人がやはり話しかけて来る。
ん?誰?
「薬、どれくらい飲んだの?」あ、あれ?看護婦さん?
「2錠」私はとっさに答えた。「眠剤だけ?他には?」「あ、安定剤2錠」なんで安定剤飲んだの知ってるんだろ?「お酒は?どれくらい飲んだの?」「、、えっと、ボトル半分?」
本当は記憶なんて無いけれど、答えないといけないような気がした。
. . . あ、痛み止めも飲んだ?切る時、楽になるかと思って. . . . . . . . . 。


ふと意識がハッキリする。
年配の看護婦さんが血まみれの私の手足を拭っていた。反対側には若いドクターが立っていた。
ああ、なんだ病院か。
アレ?さっきまで頭でこだましてたの、もしかして救急車の音?いつのまにか、どっかの病院にいるの?

ああ、先生手が震てる。何?私の手足を縫うの?うわぁヘタクソ。薄皮すくいすぎで、プチって皮膚が切れちゃったよ。ああ、こんくらいのこと、なんで緊張するかなー?

「先生、私やりましょうか?」ベテランの看護婦さんは見かねて声を掛けた。「. . . いいです」固い声で返事ををした。
やー、研修医ですか。少しでも経験積まないとね?ああ、でも先生手が震えてる。あ、傷口さしたな。痛い。痛い?麻酔の位置、悪かったね。
ああ、あんなに深く切った左手の血が止まってる。
ジクジクと出血は続いてるけどこの程度じゃ. . . 。

モタモタと処置が進む中、私はぼんやりと周りを観察していた。


「瑠璃?」おずおずと私を呼ぶ声に目線をやると、祐輔の姿が見えた。部屋の入り口で、大きな体を縮込めるように立っている。

何やってるんだろ?あんなとこで?

180センチを超える長身。平凡な容姿だけれど人好きのする優しい笑顔。そのまとう雰囲気で、ギリギリでイケメンの範疇に入れるかもね?
いつも私はからかってやった。
なのに今は笑みがない?
泣きそうな、苦しげな顔。あ、鼻が赤い。コイツ、泣いたな?ああ?ただでさえカカア天下で尻に敷かれてるって噂されてるのに、その情けない顔ったらね。似合うし、祐輔ったら止めなさいよぉ。

「ああ、旦那さん?」振り返った看護婦さんは祐輔に声を掛けた。「奥さんの処置は終わりました。明日、外科の外来にいらして下さい。それから、、、、、、、、」
口をゆすぎたい。話し長くなるかな?あ、先生に聞いてみよう。
「お手洗い行って来ます」
「え?ええ?あ. . . トイレ?」先生はあたふたとしている。
まあ、いいや、降りちゃえ。
あ、足が冷たい。
裸足だ?
ええ?なんで裸足?裸足で外出??

ベットから立ち上がった瞬間わき上がった疑問に答えを出す暇もなく、意識が遠のいていった。







シーン1-3 "ブラッドバス"


途切れ途切れの記憶の中。
誰かが私に話しかける夢を見た。

「瑠璃?瑠璃?この服、捨てるね?」
「瑠璃?瑠璃?ちょっとまっててね。すぐ片付けるから」
「瑠璃?大丈夫?瑠璃?息してる?」


ああ、うるさい。気分が悪い。頭がグラグラする。目をつぶると大きな渦の中に吸い込まれそうだ。だけど、まぶたが重くて目が開けていられない。
だいたいこんなに気分が悪いのに服がどうしたって?あ?バーバリーのポロ?捨てるって?なんでよ?あ、きったない!そんな汚いモノ、すぐ捨てて!
それより、寒い。寒い。寒い。あれ?今6月じゃない?なんでこんなに寒いんだ?

祐輔、片付けって?

何を?私がこんなに寒がってるのに。こんなに気分が悪いってのに。なぜ毛布かけてくれないの?なぜそばにいてくれないの?

それより、どうしてマンションの玄関で寝てるの、私は?

「大きな. . . 」
「え?瑠璃どうした?」祐輔は私の顔を見下ろす。手に持った布切れがポトリと落ちた。
「目をつぶると、大きな錬成陣に飲み込まれる」
「え?ええ?」
「だから巨大な錬成陣の上に寝てて、、グルグルっと吸い込まれるみたい」
「ハガレン?」間抜けな声で祐輔は言った。
ようやく理解したか。鈍いヤツ。私は満足して目をつぶった。
祐輔が体を揺する。「瑠璃?瑠璃?」
「扉の向こうには. . . . . . 」



翌朝、目眩を押さえて居間に入った私は圧倒的な血の匂いにむせた。
ああ、小説に「むせ返る血の匂い」ってあるけど、本当だったんだ。
どこか甘ったるい、胸の悪くなる匂いが鼻につく。血液って少量なら鉄気臭いのに、大量にあると違うんだ。
気づくと自分の体からも、甘く気持ちの悪い匂いが漂っていた。

「瑠璃。医者に行くよ」祐輔は私の上腕をそっと掴みながら言った。
左右の手首と肘に包帯が巻かれているので、避ける手つきは慎重だ。
そして、彼が夕べ「片付ける」と言っていたものがようやく解った。
朝日が差し込む居間にテラテラと不自然に光る床。私が居間で自分を切り刻んだ後始末を、床一面に広がった血溜まりを、一人で掃除してくれたのだ。

. . . ああ、悪いことしちゃたな。掃除は苦手なのに。やっぱり、雑巾の跡がそこら中についてる。あ、ここまだ黒っぽい。

ぼんやりとフローリングを見渡すと、祐輔一人に掃除させたことに対する罪悪感が急激に湧いて来る。

「あ. . . 祐輔」「ん?」クマの出来た顔で私を見つめる。「ありがとう。掃除」「うん大丈夫」嬉しそうな笑み。「1回で取れないからね、何度も拭いたけど」
祐輔は期待のこもった眼差しで私を見る。飼い主のご褒美を待つ大型犬のようだ。
「それは大変だったでしょ?さすが祐輔」
褒められ祐輔は破顔した。
本当に人好きのする優しい笑顔。この場に似合わぬ会話をしながら私はぼんやり考えた。

私は人の期待を裏切れない。いつも期待に応えて来た。これからも期待に. . . 。

逃げ. . . . . .








シーン1-4 "ブラッドバス"


精神科の待合室に車椅子で入った。

受付の看護婦さんは私の顔を見ると労るような眼差しを向けた。昨夜運ばれ治療を受けたのは、私のかかりつけ医の勤務するこの病院の救急外来だったらしい。

何か院内で連絡のやり取りがあったのだろうか?

目眩が酷く辛そうな私の様子を見かね、看護婦さんは毛布を持って来てくれた。長椅子に横になるよう優しく促す。

初夏だというのに私は震えていた。ジーンズに長袖の厚手トレナーを着ているのに。
袖口から覗いた手首の包帯と爪の間にこびり付いた汚れが眼についた。

今の私は、普段とは違った意味で人目を引いていた。
血でゴワゴワしたロングヘアーは濡れタオルで拭き取ってきたけれどバサバサ。お手洗いの鏡でチラっと見た顔は、血の気を失い普段は出来たことのないクマが目の下にある。愛嬌があって可愛いと言われる顔も不細工にむくんいた。
TPOにこだわったコーディネートを常に心がけている私が、今は祐輔のビーチサンダルを履いていた。

きっとみすぼらしい病人そのもに見えるんだろうなぁ. . . 艶やかなロングストレートをなびかせ颯爽と歩いてたのは何時のことだろう?
私の164センチある身長に、9センチのヒールを履けば軽く小柄な男性を追い越した。
そしてかならず背筋をしゃんと伸ばして歩く。顔を真っ直ぐ上げる。どんな場所に出ても堂々と物怖じしない。

理想を体現していた留璃子はどこへ行っちゃった?

「椙山留璃子さん」神経質な声が私の名を呼んだ。
祐輔は慌てて車椅子を取りに行った。不器用に壁にぶつけ、扉にぶつけ、精神科の待合室に大きな音が響き渡る。
「歩くから大丈夫」私は祐輔に声をかけた。「え、でも」かすかに眉をしかめる彼に「ありがとうね」と言い残し、一人で診察室に入った。

「お願いします」「お願いします」
医師との機械的なやりとり。
まだ30才前だという高橋先生は痩せ過ぎでいつも疲れた表情をしていた。髪には白いものが混じり、私より年下とは思えない。精神科の医師として患者の人生の重みまで背負っているかのようだ。
. . . だけどソレが表情に出るようじゃまだまだ青い。って、この人はずっとこんなキャラで押してっちゃうのかね。
ぼんやりと考える。先生が私を観察してる時、私も先生を観察していた。

「で、死のうと思ったの?」高橋先生はカルテに顔を伏せ、そっけない口調で聞いた。
「はい」「今も、死にたいと思ってる?」「はい」私が答えると、高橋医師がチラっとこちらを見た。
一瞬目が合うと彼は何の感情も表さず言う「どちらか、入院しますか?」「いいえ」先生がもう一度こちらを見る。
と、看護婦さんに扉を開けてもらい、祐輔が診察室に入って来た。
挨拶をする彼を遮るように、高橋医師が切り出す。「ご主人はしばらく奥さんのそばにいられますか?」「え?あ、はい」とっさに答える祐輔に医師が軽く頷く。「じゃ、そうして上げて下さい」

話はついた。


その後は外科外来だ。
車椅子で移動していることを冷たく指摘された。
「歩けないほど痛むワケ?」中年の医師が私の足首の包帯を指差しながら言う。
私は面倒だと思いながらも「いえ、目眩がするので」と答えた。
言い返されて露骨に溜め息をつく医師がぞんざいな手付きで包帯を替えて行く。足首と肘の内側の傷から血がジクジクと滲んでいた。
「破傷風の注射打った?」前置きもなく医師は聞いた。
「. . . 覚えがありません」
私の答えに医師はまた溜め息をつきカルテをめくる。「あ、済んでるんだ。じゃ、要らないから」看護婦に指示した。

. . . . . . . . . カルテに書いてあるなら聞くなよ。答え間違ってたら医療ミスの始まりじゃない?


外科の外待ち合いで処方を受け取った祐輔は怪訝な表情をした。
「高っ!. . . アレ、負担10割?間違ってら!ホラ、瑠璃見てよ」
確かに本人負担額10割になっていた。
「直してもらおう」祐輔は受付のお姉さんに処方を渡し、保険証があるので自己負担は3割だと指摘した。
医療事務員らしい女性は処方を見ると、私に視線をやりキッパリ言った「自傷行為の場合、保険は適用されません」彼女は祐輔に視線を移し「自傷行為の場合は全額本人負担なんです」と、やや強い口調で告げた。

一瞬、周囲の物音が途絶える。

悪いことをしたんだ。
悪いこと?
そうだ私が悪い。悪いんだ。
悪い?
悪いなら、居なけりゃいいのに。
存在しなきゃいいのに。
周りに迷惑を掛け、、迷惑?
迷惑なんて嫌なのに。
消えたかっただけなのに。
消える?逃げたかった?
逃げれらなかった?

失敗、したんだ。








シーン1-5 "ブラッドバス"


車高のあるランドクルーザーを降りようとして波のような目眩に負けた。

頭からアスファルトに着地、痛みより体中を襲う虚脱感でしばらく起き上がれなかった。そのままの体勢で私はマンション地下の駐車場にうずくまっていた。

「瑠璃!瑠璃!」祐輔がうわずった声で叫ぶ。
と、鍵を落とす音が地下駐車場に響き渡った。「ああ、あ、鍵、鍵」パニック状態の祐輔は必死で鍵を探していた。

目眩の治まった私はゆっくりと体を起こし彼に言った。
「前輪のとこに. . . 鍵落ちてるよ、祐輔」


マンションの部屋に戻り、リビングの窓を全開にした。

南と西にある窓から、初夏の香りと排気ガスの匂いが部屋に吹き込んで来る。
最上階の22階なので比較的静かだけれどここは名古屋市の覚王山。路地一つ先に幹線道路が走り、商店と住宅が密集する古くからの繁華街で高級住宅街だった。
地下鉄東山線の駅から徒歩3分。ドアtoドアで名古屋駅まで15分。百貨店が立ち並ぶ栄地区まで10分しかかからない。


街っ子の私は祐輔と婚約した4年前に、この物件を見つけると頭金5000万を払いさっさと契約した。
祐輔の両親は自宅の敷地に離れを建て、私達を住まわせるつもりだったらしく猛反対をした。「2500万の違約金」わたしのつぶやきで表面上の反対は止んだ、、、が祐輔の両親の不満はふつふつと治まることはない。35年の長期ローンも気に入らない原因の一つ。曰く、マンションなど永住するところではないらしい。なのに、返済義務が残ったら引っ越しできないと言うのだ。
. . . 実は、私のローン負担分5000万はすでに繰り上げ返済済み。祐輔の2500万も2〜3年の間に返済してしまう予定だった。
しかしローンに縛られていると思わせておいた方が何かと都合良さそうなので、私は黙っていた。祐輔本人とその義父母に。


お気に入りのソファーにそっと寝転がり輸入家具でまとめた室内をざっと見渡した。渋いサーモンピンクとアイボリーを基調としたインテリアは、私が全て選んだものだ。家具店所属のインテリアデザイナーを雇うつもりだったが、あまりのセンスの悪さに自分でやることにしたのだ。
「(いくら億ションだって)わずか150平米のスペースでビクトリア調はどうかな?と」私が店長に告げると、”モノトーンとメタリックがシンプル&機能的なインテリア”を主張するデザイナーを紹介された。
寒々しいし、ステンレスの椅子座りにくい。だいたいぱっと見た目、何年前に流行った部屋なのコレは?私は心中大いに突っ込んだ。

私の顔色を伺う店長に、にっこりと笑ってみせた。
「私、実はデザイン関係の仕事をしているんですよ。だからインテリアを自分でやってみたいなって思っているんです」
と、隣で出された紅茶を上品にすすっていたママが突然身を乗り出した。「そうなんですの。うちの留璃子は美術大学でデザインの勉強をして、今はデザイナーのお仕事をしてるんです」質問されてもいないのに私の卒業した県立美大の名前を挙げる。「専門家なんですよ。とっても優秀な子で. . . 」
娘の嫁入り道具を見立てる大役を仰せつかい意気込むママは、ここぞとばかりに力説した。
. . . って、結婚式の仲人紹介じゃないんだから、、学部とか入賞とか、ここでは関係ないし。留学って、夏休みにヨーロッパ旅行しただけなのに. . . . . . 。
私はあきらめてイタリア製チェアの布見本帳を手に取る。カーテンは小付きの柄にして、逆に椅子は柄の立ったジャガードを選ぶかな?ローテーブルはローズの大理石が良いかな?無地アイボリーの壁紙とローズウッドのフローリングに馴染む、控えめで過ごしやすい空間が造りたいな。
あ?絨毯いらないって言ったのにペルシャ絨毯運んで来た!ああ、面倒ぉ。


ソファーに横になりぼんやりと考えた。
. . . このシャンデリア小さい方を選んで正解だった。
マンションの天井なんて高さがない。もし大きい方を選んでいたら、花と蔦が美しい曲線で描かれているこの照明器具もうざったい存在になっていただろう。
大きい方のシャンデリアは、いつの間にか実家のリビングに設置されていた。大きさはぴったり、デザイン的には. . . まあそれなりだ。ミュシャのシルクスクリーンの横に”高蔵不動産”のケバケバしいカレンダーさえなければ、だ。
売れない演歌歌手や芸能人崩れが厚化粧と似合わないドレスで媚を売るカレンダー。パパが毎年自分でプロデュースする自慢の品だ。無駄にでかくて、無駄な海外ロケを行う口実を作るカレンダー。何故ママがこんなモノをリビングの一番良い場所に貼るのか理解できなかった。
パリとミュシャへの冒涜だと思うけど. . . ママなりの皮肉だったのかな?
死の間際までパパに捨てられることを怯えていたママ。心細く死んで行ったママ. . . 私も. . . . . .

私、何考えているんだろう?ズキズキと痛む額に手をやる。
祐輔と2人で使うには広すぎるが、優しくセンス良く居心地良の良い暖かいリビング。私の喜び。私のお城。祐輔の親とも、私の親とも切り離された場所。安らぎを与えてくれる私の砦。
なのに、いつの間にか”死”を連想してる?


「留璃、お腹空かない?」祐輔は身を屈めて私の頬にキスを落とした。
「いらない」「じゃ、僕カップ麺でも食べようかな?」「そうしたら」
私の答えをを確認してから彼はキッチンの食料庫を開けに行く。「ああ〜?瑠璃ぃ、もうカップ麺、少ししか残ってないよぉ?どうする?」
私は疲労を覚えながらも答えた「夕方にでも買って来て。飲み物なんかも一緒に」「さすが留璃ぃ!そうするよ!4個くらい買えば良いかな?プリンも買う?」

気楽な調子で居間に戻って来た祐輔の表情が一変した。
「あああ!!瑠璃ぃぃ!!!」
私の心臓は跳ね上がった。
異様なスピードで脈打つ鼓動に嫌な汗が滲む。過呼吸が起こる、、?安定剤飲まないと、紙袋どこに. . . . . . . . .

「瑠璃!大変!!顔にアザが!!」私の肩を掴んだ祐輔が叫ぶ。
「へ?」
「血が出てる!傷が出来てる!アオ痣になってる!!瑠璃の顔が. . . 」
さっき駐車場で転んだ傷?私の体から力がヘナヘナと抜けた。
. . . . . . . . . い、今まで気がついてなかったのぉ?


祐輔は純粋で駆け引きが無い。愛情は本物。優しい。とても優しい。

ベッドに横たわる小さな体が浮かんだ。体中を管で繋がれ日に日にやつれていく姿。脳内の出血が及ぼす麻痺で、自分の体さえも自身でコントロールできない。
泣いてくれればいいのに、私を見る瞳には表情さえなくなった。
アレは雪の日だった?うん、電車が止まった日だ。
喉に痰が詰まって窒息しそうになっていたのに。
酸素飽和度のセンサーが指先から外れていたのに。
唇から血の気が失せていたのに。
苦しそうな呼吸をしていたのに。

誰も気づいてくれなかったんだよね?ママ。

次から次へと鮮明に思い出す記憶。
まるであの日に帰りまた最初から体験してるみたい。体が震える。

ママ、ママ、ママ。

ああ、怖いよ








シーン1-6 "ブラッドバス"



祐輔は私に付き添うため一週間の休暇を申請した。

さすがに世界的自動車メーカー。福利厚生は行き届いている。
”タヤマ自動車本社デザイン開発部システムワークセンター”。祐輔が院卒後、入社一年で抜擢された部署だ。「新車の開発デザインにともなう空気力学的シュミレートを実行する」仕事らしい。当時本社の重役だった祐輔の父がコネを使ったとやっかむ者もいたようだが、当の祐輔はどこ吹く風と気にも留めていなかった。

受話器を置いた祐輔はご機嫌に言った。「お大事にって言われたよ。それでね、瑠璃の先生に診断書ってのを出してもらえば、なんだったけ?なんとか費?みたいなモノがもらえるんだって!」

え?. . . 診断書?それって. . . 私の妻はうつ病から自殺をはかり失敗して精神病院に入院を勧められたけど断ったので夫の私が付添う必要がありました、、とか?

呆然とした私を見て祐輔が不満そうに言う「何?なんか僕変なこと言った?」
「あ、、大したこと無いのに、お金なんか貰うの悪くない、、かな?」隠す必要は無いけど、わずかなお金の為にわざわざ人に触れ回るのも。
「えー?瑠璃、家のローンが35年も残っているんだから無駄遣いしないでって、いつも言ってるじゃん?」
「. . . あ?頭が、いた」考えがまとまらず話を打ち切った。

祐輔はこのマンションの総額を知らない。頭金の額も二人合わせたローン額も。三年前に組んだ自分のローン額でさえもう覚えていないだろう。彼には長いローンがあり、慎ましい生活を送らなくてはならないと日頃から言い聞かせてあった。

結婚当時25才だった祐輔は残業を含め年収400万超程度だった。31才でキャリア9年目の私は商業デザイナーの仕事だけでなく、マーチャンダイザーも兼任し部下を持ち、700万程度の年棒があった。さらに一族会社の役員として役員報酬や家賃収入も得ていたので、分不相応な年収と貯蓄を持っていた。
しかし、祐輔の実家の手前なるべく質素に振る舞うよう心がけていた。

「土地成金」祐輔の父親がポロリともらした本音。

私の父親は不動産業を営んでいる。(株)高蔵建築はバブル時に地上げで儲け、不景気後もそれなりに経営されていた。しかし近年の名古屋圏の好景気に上手く便乗し、大きく盛り返していた。万博、空港、駅前ビルの開発などに、土建屋としてちゃっかり参加していたのだ。不景気に相続税の払えなくなった人から、名古屋市内でも最高級の住宅街の土地を買い叩き大きな家を建てたのは5年前。私が結婚する少し前のことだった。当時家に遊びに来た祐輔は父のキャデラックとBMW、他の兄弟の高級外国車に目を奪われた。

悪気の無い無邪気だって人を傷つける。

祐輔が嬉々として私の実家の様子を語ると、彼の父は苦々しい顔を隠さず「金より大切なモノがある」と言った。「品格の無い金は. . . 」

お金に品格?人間だって品格なんて持ち合わせていないのに?









シーン1-7 "ブラッドバス"


「ピンポ〜ン!ピンポ〜ン!」

部屋中に響くチャイムの音に私は体中を緊張させた。
止める隙も無く祐輔がインターホンの受話器を取ってしまう。「あ、コンちゃん!開けるから上がって上がって」モニター超しに姿を確認した祐輔が嬉しそうな声を出した。

突然の来客は末弟の金剛(こんごう)だった。

チャイムの主が誰よりも気の置けない弟だと知り、体中の緊張が解ける。ほうっと溜め息が出た。

「チャオッス!俺はカレー食べたいゾ。留璃子ちゃんの台所貸せよ!」金剛は玄関に入るなり、前置きなしに宣言した。「コイツだ。死ぬ気で食うゾ!」
「あ、サンマルコのカレー!」祐輔の嬉しそうな声。

持参したカレーの包みを祐輔に渡すと、金剛はソファーに横たわる私の前でおどけてみせた。
「留璃子ちゃん、チャオッス!」
「コン、元気?」
あったりまえー。答えながらスタスタと我が家のキッチンに向かう。祐輔も後に続いた。
「俺さぁ、今さぁ、住み込みなんだ。パチンコ屋」金剛はガサガサとレジ袋からサラダの材料を取り出しながら口を動かし続けた。「良い匂いなんてさせてたら、先輩にたかられちゃうワケ。ヒドクね?ヒドクね?」
「ヒデ。それヒデェ」眼を丸くし、祐輔は真剣に相づちを打つ。

私はリビングのソファーから二人のやり取りをぼんやりと眺めていた。

「赤いピーマンとっ〜ぉ、黄色いピーマンだぁ〜ぁ〜ぁ」金剛のでたらめな歌声に、祐輔が突っ込みを入れる。「コンちゃんそれ、パプリカ」「ちげーよ。俺日本人だゾ」「え?ピーマンって日本語?」「うそっぴょ〜ん!」
カハハと笑われ、祐輔が薄切りキュウリを投げつけた。
「ね、祐輔君さ、麦茶とウーロン茶とどっちが良い?」「麦茶。カレーには冷たい麦茶しょ?」
金剛の開けっぴろげな笑顔に、沈み気味だった祐輔も明るく笑う。

比較的年の近い二人は直ぐに仲が良くなった。お坊ちゃま育ちの祐輔は3才年下だが世間を広く知っている義弟の話をいつも興味更かそうに聞いていた。
『自分の兄弟と話すよりコンちゃんと話す方が盛り上がる』そうだ。
二人でじゃれあう姿は、血統書付きのゴールデンレトリバーと野犬になったプードルのようだと思った。『俺ノラなワケ?留璃子ちゃん、実の弟に向かってヒドクね?ヒドクね?』金剛の抗議に、爆笑したのを思い出す。

祐輔の大きな背中に眼をやると楽しかった出来事は直ぐに去り、何かが胸を突き刺した。祐輔、祐輔、可愛そうな祐輔。. . . . . . こんな奥さんを貰ったばかりに。

最近では、さすがの祐輔も私の状態を持て余していた。. . . いや、私の存在自体を持て余していたのか?

三ヶ月前、私がうつ病だと診断された時も、彼は平然としていた。元気を無くした原因が病気であったと解り、かえってホっとしていたくらいだ。
. . . だけど、診察を受けても一向に”病気”は治らなかった。気力は戻らず、吐き気でさらに食欲も落ちた。
投薬開始直後は一週間眠り続けた「傾眠」だそうだ。、、幸せな眠りの時を過ぎるとまた眠れなくなった。眠剤(睡眠薬)を飲むようになった。量はどんどん増え続けた。今では限度の処方量を飲んでも安眠は得られない。

昔なら気分転換になった旅行にも行きたがらず、外食さえ嫌がった。外出せず、借りて来たDVDや音楽にも興味を示さない。訳も無く不安でポロポロと涙を零した
リビングのソファでぐったりしていたかと思えば、じっとしていられずフラフラと家中を歩き回る。
私の体はアザだらけ。そこに、抜糸が済んだ傷跡も加わった。

ママの介護と会社との往復で日に焼けることのなかった生活は、もともと色白の肌を不健康なくらい生白くした。初めて意図してつけたその傷は醜く赤く盛り上がり、その両側にポツンポツンと小さな丸が並んでいた。


「留璃子ちゃん!」
呼ばれてハっとする。
目の前で金剛がニコニコ笑っていた。「食わねーの?オイスィ〜のにぃ?」おどけて私の皿からカレーをすくいパクリと口に入れた。

意識が食卓に戻るのにちょっと時間がかかった。
「. . . あ?、馬鹿コン、」私はお約束で拳を振り上げたみせた。
金剛は大げさに嘆く振り。「ヒドクねー?ゲンコ!ゲンコだよぉ、祐輔君!」「あれ?コンちゃん”馬鹿”の方はスルー?」祐輔は笑いながら指摘した。「おっ?あ?祐輔君まで!ヒドクねー?!」

私には三人の弟が居る。
今年25才になった金剛は高倉家の三男で末っ子だ。
ブリーチし過ぎてパサパサになった金髪。安物のチョーカーに、破れたジーンズ、着古したTシャツ。体格の良い高倉兄弟の中では一人だけ小柄で、柔らかい性質。名前の由来となった金剛石=ダイヤモンドの硬質さとはほど遠い。小作りな顔は私とともに母親似だけれど、女の私よりこの弟の方がずっと美人顔だった。
有名進学高校をドロップアウトし、二度の離婚、三人の子供の父親。それぞれの離婚以来、子供達とは合っていない。月々の養育費を振り込んでいることは私しか知らない。
ここ数年住所不定で、女性と別れる度に実家に戻っていた。が、ママの死後、いやママが発病して闘病生活が始まって以来は一度も実家には戻っていないらしい。

それでも我が家には時々顔を出し、カラオケに行ったり、泊まり込みで祐輔とゲームしていった。
そう言えばこの子、私がうつ病と診断されてからは泊まらなくなった?


「あのさ. . . 」話を切り出そうとし、私は喉がつかえた。涙が滲む。「こほ、 あ、ゴメ. . . 」
「瑠璃、大丈夫?味、辛かった?」祐輔は不器用な手付きで私の背中をさすってくれる。
「平気、美味しい」
無理矢理飲み込むカレーは味など解らない。胃のムカつきも酷くなってきた。
「アレだ、幾つになっても新婚さん的な?へへへ」二人の様子をニヤニヤ見ていた金剛が茶化す。「うん、俺たちずっと仲良いんだよ。ね、瑠璃?」平然と返す祐輔に、金剛が大げさな手振りをつけ首を振った。「のろけネタ振っちゃったしぃ」

私は思い切って口を挟んだ。
「あのさ、私、、入院したら良いか. . . 」
全部まで言えなかった。
まだ笑いあっていた祐輔と金剛が突然動きを止めたのだ。

「留璃子ちゃん!なんで入院なんて言うの」真っ先に金剛が口を開く。
. . . . . . . . . なぜ?なぜって
「び、、病気だから. . . ?」「だけどさ、入院すれば治るの?」「. . . え?」
琥珀の問いに私は答えれなかった。
椅子に座った祐輔がこちらに向き直った。
「瑠璃、この家から離れて一人になっちゃうんだよ?入院するってことは」「そうだよ。留璃子ちゃんさ、祐輔君と離れて平気なワケ?」金剛は相づちを打った。「ほんとに、ほんと、平気なの?一人になるんだよ?一人ぽっちなんだよ」
祐輔に念を押され、返事が出来なかった。
「瑠璃子ちゃん寂しいでしょ?無理だよ、ねぇ祐輔君?」「そうだよ、瑠璃には無理だよ」

四つの瞳が、心配そうに私を見つめていた。

寂しい?うん、寂しい。
家を離れる?やだ、離れたくない。
入院したい?したくない。
精神病院に入る?嫌だ。
精神病院なんて嫌だ。寂しい思いも嫌。家を出るのなんて嫌。
絶対嫌だ。嫌に決まってる。
あれ?何が?
何の話だっけ?、、最近はいつもこうだ。

医師はうつ病の症状の一つだと言う。けれど私の頭はどんどん悪くなっていくみたい。

脳細胞が、少しずつ死んでいっているのかも?









シーン1-8 "ブラッドバス"


洗濯機の前でぼんやり立っていた。

脱水が終わった洗濯物を干さなければ。そう思っているのに体が動かない。家具にはうっすらとホコリが溜まり、部屋は乱雑だった。

『ホコリで人は死なないよ』今日から出勤を再開した祐輔の笑顔を思い出す。

だけど以前の私はこんなではなかった。仕事と家事を両立、身なりにも気を使うキチンとした人間だった。ふと、自分の指先に目をやる。手入れされていない爪は艶がない。ネイルサロンで華やかに作られた指先なんて、遠い遠い昔のことみたいに思えた。

なんとか体を動かし洗濯を再開する。広々としたバルコニーにでると観葉植物が枯れかかっているのが目に入った。アイビーの蔦が茶色く絡まり、触れるとカサカサと葉が落ちた。他のプランターを見ないようにしてバスタオルを広げる。腕が鉛のように重い。こんな単純な作業にも恐ろしいほどの疲労を覚えた。

私はどうなってしまったのだろう?

絶望が再び全身を覆う。耐えきれずバルコニーの塀に体をもたれさせた。空が青い。日差しが目をさす。幼い子供の声が聞こえる。. . . . . . ああ、幼稚園の送迎バスに乗り込む子供達の声なんだ。

『今は駄目だ。今は駄目だ。今は. . . . . . . . . 』
心の中で呪文のように唱える言葉。今は駄目?
『そうだ。子供達が居なくなってから。歩行者が居なくなってから。誰も居ない時』
誰も居ない時?
『失敗したくない。もう失敗したくないから』
失敗?失敗、したくないよ。
『救急車を呼ばれない時じゃないとダメだ』
救急車?先週も乗ったらしいね?
『手当てされた困る。もう失敗したくないから』
ああ、そうか私は、失敗してばかりだった。

いつの間にか地上22階の高さから、食い入るように眼下のアスファルトを見つめていた。クラクラする。目眩がする。このまま落ちても仕方ないほどフラフラじゃない?ね?事故みたいに. . . . . . 恐怖も不安も追いかけてこない場所に行きたい。ここに居たくない。逃げ出したい。

濡れた洗濯物を放り出したまま私は部屋に駆け込む。とっさにクッションを掴むと、書棚と壁の狭いスペース潜りこんだ。小さく小さく丸まった私はわずかな安定感を求め壁に縋り付く。流れっぱなしの涙がポロポロとめどなく溢れ頬を伝いTシャツの胸を染めた。

祐輔の携帯着信が聞こえるまで動けなかった。電話の声がおかしいと言う彼に「眠っていた」と答えた。「ゴメン起こして!お昼寝続けて。愛してるよ瑠璃」携帯が切れる。祐輔の優しい声も私の心に響かない。

頓服用に処方された安定剤をウィスキーで飲んだ。筋弛緩効果と催眠効果を持つかなり強い薬だ。これで少しは眠れるかな?とにかく現実から離れたい。









シーン1-9 "ブラッドバス"


お願いします」「お願いします」
いつもの挨拶を交わし、診察室の椅子に腰掛けた。

緩くなってしまったジーンズを引きずらないよう歩く私の姿に高橋医師がちらりと目を向ける。素早く全身を観察した彼の表情は全く動かない。

私は身なりを構わなくなった。
構えなくなったが正しい。洗顔とシャワーと歯磨き以外は、外出時も化粧しない。
エステやネイルサロン、美容院、季節の洋服、ジュエリー、バッグ. . . 何にも興味が湧かない。
肩甲骨の下まで伸びたストレートヘアだけはサラサラと綺麗. . . と言いたいところだけど、明るい染め色と伸びた地毛の黒がくっきりとしたトーンを作り美しさとはほど遠かった。美容院に通わなくなってどれだけ経つだろう?

今履いているローライズのブーツカットジーンズには、ヒップから太ももにかけてゆるみがあった。痩せたのか?あれほどダイエットしてもヒップが痩せたことなんて一度も無かったのに?
肌はカサカサと潤いをなくし、血色の良かった頬にも唇にも血の気は無い。
青味のかかった白目に黒目がちの眼は、子供の頃から『つぶらな瞳』と言われた。が、鏡からこちらを見返す眼は充血し虚ろにおよいでいた。
踵の高いパンプスやサンダルを履く気になれず、スニーカーでさえ紐を解くのが面倒に思えた。今日も祐輔のサンダルをつっかけて来た。長めにカットされた裾を引きずり、パタパタ音を立てながら歩く私は随分みっともない姿をしているのだろな. . . と遠い所でぼんやり考える。

. . . . . . . . . どうでもいい。

「眠れますか?」お決まりの質問が始まる「あまり」答えた。
「寝付けなかったり、朝早く目が覚めたりしますか?」「3時頃起きます」
「食欲はありますか?」「あまり」
「お通じは良いですか?」「あまり」
「どうにもいたたまれない気分になることがありますか?」「. . . はい」
「頓服の安定剤を飲むと良くなりますか?」「少し」
「薬はまだありますか?」「全部、、飲みました」
「旦那さんはお仕事ですか?」「はい」
「まだ死にたいですか?」「はい」

淡々とした問いかけにぼんやり答えてしまった。

高橋医師はカルテから顔を上げるとこちらをチラリと見た。
「ご家族で誰かそばに付いていてくれる人は居ませんか?」「はい、頼んでみます」

死にました。

もう居ません。

ママは死にました。
泣きながら生きて、怯えながら死んじゃいました。必死で励ましたのに、看病したのに、助けたかったのに、助けられなかった。
私は自分の母親さえ助けられなかった。

「. . . . . . ?」ハっと注意を高橋医師に戻す。
ぼんやりと気持ちが漂っていたようだ。彼がカルテに顔を向けたま何か言っている。

「臨床心理士の面談は何時が良いですか?」「. . . 何時でも」

リンショウシンリシ?









シーン1-10 "ブラッドバス"


『早朝覚醒』夜明け前にぱっちり目覚め眠れぬ状態を指すそうだ。

夏至頃の夜明けは早い。4時を過ぎると仄かに白み初め、5時を回れば明るくなる。しかし今は、大半の人は今日に備え睡眠をとっている午前3時。
この時期は目覚めから朝までの時間が短いのが慰めだ。冬場は本当に辛かった。枕元の時計を見ると夜明けまでの時間を計算し、真っ暗闇の中ただ時の過ぎるのを待つ。耐え切れず起きだすと震える体を抱えリビングの暖房が効くのを待つ。時の歩みはノロノロと遅かった。

子供の頃から健康優良児だった私は、寝起きまで良かった。
なのに今では最悪だ。ぼんやりと頭が回らず、とてつも無くだるかった。体に重しでもついてるのかと思えるくらい。
大量に飲んだ眠剤、睡眠導入剤と5〜6時間の効果をうたう睡眠剤. . . の影響なのか、眠れないくせに眠くて仕方ない。けれどいくら目をつむり眠りが訪れるのを待っても、うたた寝すら出来ない。


ベッドサイドテーブルに置かれた時計を見る。

もう3時40分だ。いつもより夜明けが近い。つまり辛い一日が、ちょっとだけ短くて済むということだ。

寝室から廊下を抜け広々としたリビングに入ると、ムっと鼻をつく甘ったるい匂がした。嗅ぎなれてきた、私の体から流れ出た血の匂い。否、慣れてなんていない. . . いつまでもつきまとう臭気に、髪の一本一本にまで香りが移ってしまうのではないかと恐怖していた。
ハウスクリーニング業者に清掃して欲しかったが、祐輔は匂いなどしないと取り合ってくれなかった。
自分で業者に電話するなんてことは、今の私にはハードルが高過ぎた。

だるい体をソファに預ける。
目をやった先の床が確かに変色しているの気づく。やはり血液の跡は取れていない?

のろのろと起き上がると、雑巾や古いタオルを湿らせ床を拭いてみた。. . . . . . 磨いても床に変化はない。鼻を近づけて匂いを嗅ぐとやはり血の匂いがした。台所から食器用の中性洗剤を持って来ると、ほんの一滴床に垂らしてから拭いてみる. . . . . . . . . タオルを確認するとほんのり赤っぽい汚れがついていた。

やっぱり。

匂いは気のせいではなかったんだ。
昨夜降った雨で湿り気を帯びた空気が、こんなにとハッキリ濃い血の匂いを漂わせている。
あれほど言ったのに、祐輔は私の気のせいだと取り合わなかった。
自分の血の匂いのする居間で私を一人待たせて置いた。
言いようの無い怒りを覚えた。優しい人だと思っていたのに。

雑巾を持つ手に、涙がポロポロとこぼれる。

ああ、暖かい血溜まりの感覚。突然イメージが浮かんだ。

ホっとしてる。お風呂に浸かってみたい。気持ち良い。吹き出す血を見て安心した。横たわった。自分自身が流した血の中で眠る私。

ああ、もうこれで楽に. . . . . . . . .



7時過ぎ、目覚ましの音で起きた祐輔は私が掃除する姿を見て眼を丸くした。
「瑠璃?今朝は元気だねぇ!」

私は答える替わりに汚れた雑巾を投げつけた。

涙がとまらず声を出して泣き続けた。









シーン1-11"ブラッドバス"


臨床心理士は女性だった。私と同年代の三十半ば?いやもう少し年上かもしれない。

精神科の外来に臨床心理士との面談が加わり病院に毎週通うことになった。感じる負担は大きい。地下鉄に乗れずタクシーで通ってはいるけれどわずか十分程度の車中に神経がすり切れそうだ。運転手に話しかけられないようになるべくうつむいて今日もやり過ごした。

臨床心理士は多岐川と名乗り、現在までの簡単な治療歴を質問した。高橋医師と違い彼女は私の目を見、私の言葉に相づちを打ちゆっくりと話しをしてくれた。

「この紙に木の絵を描いて下さい」多岐川先生は画用紙と鉛筆を取り出した。「えっと. . . 何の樹ですか?」デザインの仕事をする人間として当然の質問を返した。「何でも良いんですよ。椙山さんのイメージで自由に描いて下さい」彼女は柔らかく微笑むと私に鉛筆を持たせた。

ふぅ. . . 息を吐くと、デッサンもバランスも考えず、ラフに鉛筆を動かし始めた。
大きな樹。太い幹。大きな枝。太い根がしっかり張った地面。幼稚園児のお絵描きみたいだ。『だけど仕事じゃないんだから』自分に言い聞かせどんどん鉛筆を走らせる。出来上がった木は画面からはみ出しそうなゴツくさいものだった。目の端に、多岐川先生がストップウォッチを止めるのが見えた。

時間も関係あるのかな?こんなものに?

考えていると、先生が質問を始めた。

「この木の大きさはどのくらいのイメージですか?」
「大きな木です。人間の腕が回らないくらいの太い幹で、、、」私は言葉を探す「. . . 高さは. . . 枝の下に人が入れる高さ?. . . そう、木の下に何人もすっぽり入ることができる?大きさです」
彼女はカルテに記入しながら頷いた。「そうですか。ではこの穴のようなモノは何ですか?」
「. . . . . . ウロ?. . . です」
「ウロですか」
「. . . はい。. . . 中にはきっと虫や小鳥が、居る?」私は何故、木のウロなんて描いたのだろう?
「ではこの木の実は何の実ですか?」彼女はカルテに記入しながら頷いた。
「林檎です」
「一つだけですね?」
「あ、はい」別にデザインした訳でも手抜きしたのでもない。沢山の実なんて思いつかなかったのだ。何故林檎の実なのか?と聞かれても答えれない。なんとなく描いてしまったのだから。

これは心理テストみたいなものなのか?
こんなシンプルな絵一枚で何が解るというのだろうか?
考えようとするが、頭が回らない。学生の頃もデザイン論は得意じゃなかった。私は良く言えば感覚タイプ?だった。

多岐川先生はカルテを横に除けると、疲れなかったか?と尋ねた。平気だと答えると彼女は良かったと頷き、両手を机の上で組んだ。

. . . 医師が患者に対する態度。

「椙山さんは今、心のエネルギーが枯れかけています」
彼女は私の目を見つめた。「頑張って、頑張って、大きな試練があり、お母さんとの悲しい別れがありましたよね?体が疲労するように精神も疲労するんです」

私は多岐川先生の話に集中しようと必死で耳を傾けた。. . . ココロもツカレル?

「使ってしまったエネルギーを充電するには休息が必要なんですよ。椙山さんは今、休息するべき時期なんです」

ジュウデン?キュウソク?

「人間の脳は精神と繋がっています。あまりに負荷を掛けると”楽しい”と感じる物質を神経が脳へ伝えてくれなくなってしまうんです。そんな症状の時は薬を飲んで助けてやります」

クスリ. . . コウウツザイ?

「しかし、薬物治療だけでは心のエネルギーはなかなか充電しきれません。だから休みを取る。休みなさいと自分を労ってやる必要があるんですよ」
多岐川先生は私の目をじっと見つめ、話を理解しているか確認しようとしているようだ。私の表情を見て納得したのか、また微笑むと少し同情を込めた声音で話しを続けた。
「だから、椙山さんが自殺しようとしたのは悪いことではありません。病気のせいなのです。椙山さんは悪くないんですよ。」

ワタシはワルクナイ?

予期せぬ言葉に、私の瞳からポロリと涙が溢れた。

多岐川先生はそっとティッシュを差し出すとこう言った。「だから、ご自分を責めないであげて下さいね」









シーン1-12"ブラッドバス"


自分を責めないで。

臨床心理士の言葉は少しだけ私の心を洗い流した。子供の頃しゃくり上げて泣きママに頭をなでてもらったみたいな
『痛かったね、瑠璃子ちゃん』


「良かったね。瑠璃」コンビニ弁当を頬張りながら祐輔が笑う。「瑠璃はさぁ、頑張り過ぎなんだよ」
「そんなこと無いよ. . . 夕食にコンビニ弁当なんて」揚げ物を祐輔の弁当に放り込む。私の弁当にはゴハンと小梅しか残らない。が、食欲は無いからちょうど良かった。
「ええ?コンビニ弁当、みんな買ってるよ!色んな種類あるし?」オイシーと、竹輪の磯辺揚げを頬張った。
「. . . ごめんね」胸がチクっとした。
「え?なんで?」祐輔はポカンとした顔で私を見つめた。
胸が詰まる。「ダメ. . . な. . . 奥さんで」言葉が上手く出ない。
「ええ!瑠璃は世界一の奥様だよぉ!!」箸を振り回しながら力説する。私の頬に飛んだご飯粒を自分の口に入れた。
「. . . . . . . . . 」
「瑠璃と食べるからゴハンも美味しいんだって!ど〜んなゴチも瑠璃と一緒じゃなきやイマイチ?な?」
「、、じゃあ、私の料理もホントはイマイチだったんだ?」「え?ええ!瑠璃の手料理はスゲぇって!」「二人で食べればでしょ?一人で食べたらビミョー?」
「違うって!一人で食べてもスゴ. . . あれ?瑠璃と二人で?. . . 一人で. . . 」祐輔は必死に答えを出そうとした。「とにかく僕は幸せってこと!」
「とにかくって. . . ナニそれ?」



『だってばよ!』食後のリビングにアニメの主人公のお決まりのセリフ。祐輔のお気に入りのアニメキャラだ。

彼はソファーで寝転ぶ私に膝枕をしながら、ペットボトルのお茶を飲んでいた。アニメの展開に突っ込みをいれつつ、楽しそうに笑っている。DVDには週20本くらいのアニメ予約が入っていた。

何故ナルト?私が聞くと『落ちこぼれから始まったとこ。僕と似てるから』と答えた。

. . . 国立大院卒で良い家に育った祐輔とはかなりかけ離れてると思うけど?ナルトって言うより木の葉丸の方がキャラ近いような?あんなヤンチャじゃないけど。

「瑠璃、愛してるよ」祐輔はソファーに寝転ぶ私の髪をやさしく撫でた。「ずっと一緒だよ」

私は、唇で微笑みの形を作る。

       





                 シーン1 "ブラッドバス"END シーン2 "スモーキボム"に続く









シーン1 "ブラッドバス" 後書き


               〜キョロリの後書き〜


まず最初に言います。ヘタクソな文章の上誤字脱字だらけでスミマセン。
そして、こんなキョロリのブログを覗いて下さった皆様、ありがとうございます!!!!

立ち上げた時点では、アクセスが一件も無くても当然だよね〜とか思ってました。
なのに立ち寄って下さる方がいらっしゃるなんて!あぁぁぁぁ〜幸せですっ!感謝ですっ!!

さて、薬物治療については現実の薬品名をあえて表記しませんでした。もしうつ病等の治療を受けておられる方が読まれた時『あれ?この薬ダメなの?』などの先入観を与えないためです。 抗うつ剤 睡眠薬 安定剤 と漠然と書いています。ご理解ください。



次章『シーン2"スモーキーボム"』にはかなりリアルな治療シーンが登場します。ロールシャッハテスト 高度医療 薬物投与 など。不愉快な表現にならない程度に物語を進められたらなぁ、、と考えてます。が、、実力的に???

『辿り着いたは精神病院』はキョロリが受けた治療の経験をベースにして書かれた部分があります。もちろん小説ですので全くのフィクションですが、病気の苦しみは本物です。文章で表現できない重いものでした。しかし、現在はこのような話しを書くことができるようになりました。一年前ならフラッシュバックに苦しみ、物語を綴るどころではありませんでした。

病気の緩解期にはフラッシュバックや逆に記憶がぼやけたりしますが、今は平静に振り返ることができるようになりました。

長期に渡るうつ病等の治療は先の見えないトンネルのようです。『努力しない』ことを学ぶのに(?)キョロリは4年もかかりました。ははは、おばかですねぇ!


続章も読んでもらえたらとても嬉しいです!!   





 

dog.giftop.gif


ポチで躍り上がって喜びます!コメント嬉しいです!!!

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コメント

ありがとうございます

ありがとうございます、蛍さん。
蛍さんに頂いたコメントに、私こそ嬉しくて感動しました。
このブログを書いていることを周囲は知りません。いつか家族や親友にくらい読んでもらえたら良いなと思っています。蛍さんのコメント、とても力になりました。
ありがとうございます。

感動!

キョロリさん、上手くいえないのですけど、今、鳥肌が立つくらい感動してます。
後書きを読んで泣きました。経験を書くことだけじゃなく、気持ちを伝えることに勇気がいるのですよね。続きも読ませて頂きます。

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Author:kyorori
登場人物、治療内容、医療機関は全くのフィクションです。病院やお薬について、仮にも参考にできたらな?と訪れて下さった方には申し訳ありません。ゴメンナサイ。

葛藤や苦しみは限りなく本物で、この小説を自己発散の場として使っています。実話より小説の方がより表現しやすいと考えての行動で、もし少しでも理解して頂けたら幸いです。

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